2017年5月4日木曜日

高所恐怖症

高いところが怖いというのは生物としての生存本能の一つだと思うんですが、この有無って生理学的にはどこの違いなんですかね。

今日はちょっとこの高所恐怖症のことを考える機会がありましたので、書いてみました。英語ではacrophobiaと言うのですが、私は高さに対する恐怖は多分、人一倍です。下のビデオを見ていただきましょう。(私は恐ろしくて全部は見きれません。w)

世の中にはヤッパリこういう頭オカシイ系の人達というか、高さに対してfearlessな人種というのがいるんですね。だからといって落ちて死なないわけでもない。こういう人達でも死ぬときは死ぬんですが一体私とこの人達に幼児期その他における経験にどんな差があったのか、もしくは遺伝的にそのような差を生じる物があるのか。

扁桃体から副腎への刺激、そしてアドレナリンとコルチゾルを介しての海馬における記憶中枢への焼き付け等のパスウェイが有るのですが、その何処かにまたはその全てに問題が有るのでしょう。
PTSDの異常な繰り返しで恐怖を感じなくなってしまう人達もいますが、扁桃体の損傷などがその説明として挙げられています。しかし、恐怖を感じる事ができなくなるというのは無痛覚症と一緒で、人生においては大変な悲劇です。

そんな人はリスクの回避という人間(というか生物)にとって最も大切な明確なもしくは可能性のある危険を”避ける”行動をとれないわけですから、命など幾ら有っても足りません。

私の高所恐怖との闘い?というか最も危なかった瞬間は小学生の時。
小学校の遠足で、山道を一人だけグループから離れて川側に沿って歩いていた時に突然足元がズボッと消えて真下にフカーイ川があったというもの。その時は手に枯れた葛を握りしめていたため、それをゆっくりと握りしめてずり落ちそうになるのをしっかりと味わいながらゆっくり枯れた葛の束が切れないように慎重に這いずり上がっていったのでした。

あのとき、葛が切れていたら、もう少し体重が重かったら、私は間違いなくこの世にはいませんでした。でも本当にこれだけが恐怖を形成したとはとても思えません。それ以前にも高い所は怖かったのは覚えてますし。
まあ、何はともあれ高さが怖くない人が世の中に”沢山”いるおかげで高層建築というものは成り立っておりますので、このfearlessの人達に感謝せねばなりませんね。w

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

子供が小学生の頃、若洲海浜公園(オリンピック会場になる予定)に行って
公園内の外周路を貸し自転車で廻っている途中に、陸地側からみて高さ1メートルぐらいの
防波堤に登ってみたら、海側が思いの外高くて足がすくんで動けなかったことがあります。
それでも海面からせいぜい2メートルぐらいだったんですけどね~
「落ちたらシヌ~」という恐怖感で海の景色を楽しむ余裕がなかった(笑)
あのとき初めて自分が高所恐怖症なのかな?って思いました。
東京タワーの外階段(約600段!)を上まで昇ったときは周りに格子があったせいか
全然平気だったのですが。
でもsmallGさんがおっしゃるように
「怖い」って感覚は持ってたほうがいいですよね。安全のためには。
以前、ナイアガラの滝で日本人女性が川岸の柵によじ登り、柵にまたがって滝を見ていて、
立ち上がった時にバランスを崩して水中に転落したという事故がありましたが
高いところが怖い人だったら起きなかった事故だったでしょう。

small G さんのコメント...

毎年、毎年痛ましい転落事故で亡くなる方がいますが、明らかに不注意というか”やり過ぎ!”と思える死があります。
恐怖に対するセーフティロックは恐怖心なんでしょうね。

東京タワーって歩いて登れるんですか???知りませんした。
高い塔といえばヨーロッパで最も高いという石塔であるウルムの尖塔(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%A0%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82)に若い頃のヨーロッパ一人旅の時に早朝一番に登ったことがありますが、死ぬ気になって石の狭い回廊を登っていくときは「もう死ぬ・・・」と思いながらの一瞬一瞬でした。あんなものを何百年も前に石で作るような連中とは喧嘩はしたらアカンなと心から思ったことがあります。w