2017年4月9日日曜日

優しさは教えられない

病棟で看護師さんやヘルパーさんを見ているとこの人になら看護を受けたいなって人が居ます。

有り体に言えばいわゆる「お気に入り」の人なんですが。w
こんなことを言うとまたエロ親父が!などと言われそうなんですけど、さにあらず。別に姿かたちなんて言うのはこの選択基準には全く入っていなくてその人が看護や介護の時に垣間見せるふとした優しさが私の選択基準。

無論、私が気に入っている人達が最高の看護技術を持っているともちょっと思えませんが、それでも私には「この人達に看てもらいたい」と思える人達なんですね。看護技術は高くても、患者さんを看護するオブジェクトとしてしか見ていないような人には私は自分の看護をしてもらいたいとは全く思いません。

結局のところ、自分は勿論のこと”自分の親”をどういう人達に看てもらいたいかということにも繋がると思うんですよね。いくら教育の場を設けても、技術としての看護や介護はできても表面的な優しさ等はよっぽど鈍感な人間でない限り患者さん側にアッと言う間に見透かされてしまうものです。

しかも厄介なことにこの”優しさ”と言うのは教育出来ないものだと私は思っています。親からどう育てられたか、人としてどう育ったか、その人の周りの人達はどんな人間だったか、そしてその人自身は成長する過程で如何に自分の中で思考してそれを咀嚼し成長していったのかという総合的なもののミックスされた成果だと思うんですね。

無論、ほぼ生まれながらにして矯正しようのないような残虐さや性的嗜好を持って生まれてくるものもどうやら稀にいるようで、その辺りは難しい話かもしれませんが、一般論として他者を思い遣る心は素晴らしい教育の成果であり、勉強が出来ること以上に人として大変大切な生きる上での資質だと思います。

ですから、他人の心の襞に沿って考えることのできる優しい心を持った子供さんを育てることに成功した親御さんは、子供が経済的に成功していなくとも、勉強がそれほど出来ていなくても、それをTシャツの表に印刷してそれを着て街を練り歩いて良いくらいその成功を誇りに思って良いと思います。

しかしまあ、ここが難しいところで稀にロクでもない環境のロクでもない親からでもマトモな子が出てくることも有るから難しい。そしてまたその逆も。

これからの医療現場、それほど遠くない将来に介護ロボットさえ普通になる時代がやってくることでしょう。優れたAIと強い力を持ったロボットが現場に入ってきた時、そこで人が持つことの出来る唯一のアドバンテージは”人が人に示すことのできる優しさ”でしょう。結局、その簡単に思えることが最後までAIには”自然”には出来ないことだと思います。

技術があって魂の無い人はそんな時には仕事を失っているのかもしれません。

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