2016年7月31日日曜日

いつのまにやら終わっていた都知事選w

何の興味もなかったので、、、と言うのを言い訳にする必要もないような東京都知事選び。

前任二人がカネ絡みでノックアウト喰らって強制退場となりましたが、今回そもそも21人も候補者がいた事自体が驚きでした。結果を知ったのは何気なくグーグル・ニュースをクリックしてNHKが瞬間的に小池さんの勝利を伝えたという、ニュースを伝えたニュースを観た時でした。

まあ、都知事選というのは青島、石原を語るまでもなく、立候補者の中身のクオリティとか毎度どうでもいいわけで、結局有名度合いがでかくモノを言ったうえで、比較的ネガティブな要素の少ない人間が選ばれるというだけの毎度決まりきったイベントですから。あ、他の選挙もそんなもんか。w

しかし少なくともメジャー・プレーヤーと言われた上位三人の顔ぶれはこれまた同しようもない感じで・・・。これが世界のTOKYOの顔になる可能性のある三人の顔ぶれかと思うと、人材の払底も極まれりという話になりそうですが、海の向こうの大統領選挙も犬の糞対猫の糞と言う構図は全く同じなので、選挙に出てくるような輩というのはほぼこの手の”自己認識のおかしな連中”及び(もしくはそれプラス)”利権のお先棒を担ぐ傀儡”のどちらか位しかいないのかなと。

元ニュースキャスターとかいう、女性であることしか売りのないオバちゃん。岩手県の公債をドカッと鬼のように膨らませるだけ膨らませてその席を去った、自民党の神輿に乗った見るからに冴えないオッサン。頭がイカれてる日本語がまともに使えないマスゴミ代表の左巻き。あと諸々の18人。得票率の四番目に”あの”嘘つき男が出ているっていうのも、マスゴミの恥知らず体質をよく顕していて二重丸です!でもまあ、桁は一つ下がるとはいえコイツが四番目の得票してる時点で、人が以下に昔の出来事を容易に忘れるかっていう良い見本ですわな。(しかし、コイツに入れるなよ。誰だ入れたの?そんなに昔の事件じゃないでしょ、この人の捏造投稿事件。)

でも、開票結果をみてつらつら思うのは、一千万以上の都民の票の内、1000票しか取れんって連中が居るのか?ってこと。多分、入れた人は家族と知り合い?FBでさえ、1000人を余裕で超えるフレンド数を持っている一般人がたくさん居るこの時代に、この大選挙で1000人って逆に難しくないか?w

今回の件ではまたまた必ずそこに居る人ってことで定番になった選挙マニアのマック赤坂が5万票もとってて感心しました俺が居ます。この人、ナニモノと思って今wiki見てみたら大笑いする書き込みを見つけました。記事に曰く

””NHKで2014年東京都知事選挙の政見放送を収録する際に、当初、天使のコスプレが「道具の持ち込み」とみなされたため天使の姿での収録を拒否された。NHKの局長は東京都の選挙管理委員会に問い合わせたが解釈の相違は埋まらなかった。そこで、マック赤坂は立候補を取りやめるので、供託金300万円を返してくれと要求した。ところが、選管の委員長に「マックさんに政見放送にどうしても出てほしい」といわれた。そのため、NHKから「スタジオを飛ばない」ことを条件に許可を受け、天使の姿で政見放送を行うことができた。””

笑いました。

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2016年7月30日土曜日

他人からの評価と自己評価

病院の若い子達の中で周囲の人からの評価が高い子と、周囲からの評価が低い子で比較的2つに別れがちです。(敢えて歳が上の人間のことはここでは触れず・・・。キリがないので。w)

その評価軸自体は、基本的に一緒に仕事をしていてその評価者達がどう”感じたか”という比較的主観に基づいたものになっているようです。ただ、そうは言っても、なかには具体例を上げて、ここではあの人はどう反応してここではどう動いた、というようなことを事細かに一つ一つ挙げていって、その人の同業者としての反応を客観的に働き具合として冷静に見つめている人もいて、なかなか興味深い。

とはいえ、人の評価というのは第一印象や好き嫌い、その人の周りにいる人間のその人への評価が間接的にその評価者に影響をあたえることなども無視できないため、話はそうシンプルでストレートでもありませんが・・・。

それでも、私が何気なく見ていてもやはりパフォーマンスが低い人は明らかにいます。そしてその中には自己評価がどう見ても”間違い”レベルで高い人がちらほら。
やっぱり若くてポジティブなのはイイね〜!と思いつつも、人の命がかかった看護や介護の場では、自分を客観視出来ない過剰な自信は常に危険と背中合わせ。自分の実力を可能な限り客観的に評価できていないと、患者さん達が危ないですし。

この前、ちょっと問題有るなと思っていたある新人の男の子に、入職して三ヶ月での今までの自己評価を尋ねたところ、「86点ですかね。」との強気の答え。w 私としては苦笑いだけで、彼に何も言うことはありませんでした。

そのあと夜勤の時に聞いた彼の同僚の彼に対する周りの評価は、Aさん「向いてないっす」Bさん「変わってるわーw」Cさん「関わりたくない、、、」。

自分を客観的に映す姿見というのは皆、なかなか持てないようです。
私自身も常に謙虚で客観的でありたいものですが、果たして効果は有るのか無いのか・・・。

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2016年7月29日金曜日

ポケモンGO始めた

日本国外からダウンロードが始まったポケモンGO。

私も日本でDLが始まった日の翌日には落としてみてちょっとソフトを立ち上げてみたりしてみました。この手の収集系のゲームはやり始めると誰もがハマりやすい性質を持っていますので、用心用心と思いつつ・・・終業後に病院の周りでポケモンをゲットしたりしていました。w

事務の若い兄さんにゲームの要点を教えてもらいながら、ちゃちゃっとボール投げの練習をしたり、博士にポケモンを送って飴をもらったり(やってない人には何のことかわからんでしょうので申し訳ない。mOm)しながら、まず4匹集めました。

病院の造影システムのある部屋で、患者さんの中心静脈栄養のラインを挿入後、患者さんを部屋から送り出して、ちょこっと若い技師さんとポケモンやってる?という話になったところ、「先生何匹持ってるんですか?」と尋ねられたので、素直に「4匹」というと、「少なっ!」と言われました。そこで、「じゃあN君は?」と聞くと「僕は20匹位ですかね〜」というので、「人のこと言えんがな!w」となりました。

そう言う前振りがありましたので、この一週間前後で乗り越えてやろう!という、オジサンのハードゲーマー魂にちょっとだけ蚊取り線香くらいの火が付きました。そこで本日は夕方から運動用の短パンとランニングシューズに着替えて、名東区から長久手の街へと夕闇の中をウロウロ。

いましたよいましたよ!こんな田舎の町の闇の中にもポケモンを路上でゲットしている老若男女達が。
子供達は小学生くらいから、俺より年上やろうなと思える大概のオジサンまでが、スマホ片手に独特の画面擦り上げ操作をしていました。(←モンスターボールを投げつけている。w)それを見て、俺も内心で”ああ、やっとるな〜”と思うことしきりでしたが、人によっては明らかに俺に対しても同じ視線を投げかけている人達もいましたので、似たり寄ったりってやつですよね。

今日は帰宅後、この食後の散歩によって4000歩ほど汗をカキカキ歩きましたので、オッサン的にはいい運動でした。(嫁さんにfitbitでも差をつけられるし!\(^o^)/)

という訳で、本日終了時点でポケモンの数は15匹まで増えましたとさ。w (うち一匹は飴玉で進化させました〜。何のことやら。orz)

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2016年7月28日木曜日

新潮文庫の百冊も・・・

本屋に行った折に、久しぶりに「新潮文庫の百冊」の小冊子が目にとまりました。

少なくとも、私が小学生の頃には普通にどこにでもあったように覚えていますが、この百冊シリーズは私が小さいころでも、明らかに少しずつ少しずつ中身が入れ替わっていることには気付いていました。
実際のところその選がどの様に行われているのかは全く知る由もありませんが、その選び出された本の一群は、少なくとも私が知っている本に限って言えば、そのどれをとっても「ああ、ナルホド」というレベルの本ばかり。

やはり、ベストセラー、ロングセラーの本達にはそれなりに選ばれ、読まれ続けるだけの何らかの理由があるというものでしょう。問題作、感動作、笑い、考え、悲しむ・・・。人の心の隙間や襞にスッと滲み入ってくるような作品を通して、それを捉える自分がどんな人間なのかを逆に考えさせるような逸品揃いだと素直に感じました。

岩波文庫などにもこれに類するようなものがあるようで、例えばここにも読書の達人が選ぶ岩波文庫の100冊といった冊子の存在がきちんと記録されています。これを一覧で眺めてみると、新潮のものに比べて基本的に日本や世界レベルで評価の定まったガチの古典が多いことがみて取れます。
これは社の方針の違いというよりも、目指すものが完全にベクトルが違うことによるものでしょう。しかし、間違いないのは確実に何れの本も歴史にその名を刻んでいくであろう本だということでしょうか。岩波のものは既に世紀単位でcertifyされたものが多く、新潮のものはどちらかと言えばこの百年以内のもの、そしてごく最近のものも混ぜて諸々あるといったところです。

岩波はどちらかと言うと岩波文庫の”目録”と言う形での出版のほうが有名ですけどね。

こうやって見てみると、新潮文庫の百冊にずっと残っている日本の古典、世界の古典は、やっぱり読む価値があるものが揃ってるな〜って改めて思いますよ。

でも、アメリカの娘達には私が感動した日本の本の感動を説明するだけのバックグラウンドの共有が出来ないことがちょっとだけ悲しいですね。特に娘達も本は大量に読んできているだけに、彼女たちの場合、それがほぼ全部英語の本(勿論彼女たちも当然、英語圏の素晴らしい本を沢山読んでいる訳ですが!)であることはやっぱり読書体験という意味では深いギャップがありますな〜。仕方ないことですけど。

自国語で書かれた宝石のような素晴らしい本が幾らでも手軽に読める国に住んでいるという事実に心の底から奇跡のような出来事だと思うのでした。

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2016年7月27日水曜日

誰も守らないスピード規制

名古屋の町を走っていると、多くの場所でその速度規制は㊵キロです。

25マイル?う~ん。まあ、それはご愛嬌としましょう。
アメリカだったら街全体の平均速度が25マイルとか、マア正直無いです。レジデンシャル・エリアであれば、30マイル(50キロ弱)、学校の傍の道なら15マイル(25キロ弱、かつ登下校時のみ)、またパーキング内では5マイル(10キロ弱)というものでしょうが、それでも街全体が25マイルとか無いっす。

おまけに都市高速の平均速度は60キロ規制(驚きの40マイル以下!)。日本晴でも豪雨でも60キロ。トンネルの中は一律ほぼ50キロ。orz さすがお役所仕事で、日本らしい羊の群れの制御方式というやつでしょうか。
これって、実際に運転するとよくわかりますけど、50キロで走ってる車なんてまず一台もないです、、、ていうのは嘘で、日本道路公団の車がソレ!コイツは路上をサーベイしながら走ってますから別格で、他の一般車と比べる意味はなし。あとは、警察の車両が制限速度をビミョーに上回る感じで親鴨、小鴨のようにそれを抜けなくて困っている皆さんを団子のように従えてノロノロ走るくらいでしょうか?

実際のところ、トンネル内でさえ50キロ前後で走っていたら現実には危ないです。極まれにそういった車があってその横を走り抜けるときに運転手を見てみるとほとんどが、携帯片手に怪しい運転。w スムースな流れという意味で、現実的に整合性の有る安全速度は少なく見積もっても高速では70キロ。そして上限は110キロ位ではないでしょうかね。

昭和30年前後の車の能力を下に算出されているこの高速道路の速度規制って実に日本らしいですよね〜。わたしは、この高速道路の”現実には合わなくても、誰もおおっぴらには文句を言わず、オカミが50年、100年かけてちょこっと規制をいじってくれるのを、羊飼いから命令されるのを待つ羊のようにおとなしく耐え忍ぶ”という、実に日本らしい、本当に最も日本らしいシステムだと思います。

50馬力、60馬力と言った馬力を振り絞るように出していた時代の規制が、軽々と200馬力を超え、シャシーから安全装備から、ブレーキ、タイヤまで軒並みケタ違いの性能変化を示す50年後の今までマッタク変えられずに誰もブ~垂れないと言うところに日本の奇跡があるのであります。w

事故の発表はいつも原因が”ハンドル操作の誤り”と”スピードの出しすぎ”の2つ。時々これに”脇見運転”がつきますが・・・。いやいや、車の事故の原因はそんな簡単なもんじゃないでしょ?日々ステアリングを握っている人だったら、事故って多くの場合は以外なことがその原因で、それを一律にハンドル操作の誤りやスピード超過なんて言う大項目などに収斂させていたら本当の事故原因が何かを皆に教えることなど出来ないわけで、これはこれで行政側の無能としか言えんですよ。ホント。

50キロ規制を120キロとかで走る愚か者も、高速で車間を一メートルまで詰めて走る基地外も、現実と乖離した規制で取り敢えず己の責任逃れをしている行政側も、もうちっとはまともに現実空間での皆様の生活様式を眺めて現実的な落とし所というのを探るべきでしょう?って、誰も聞いてねーわな。w

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2016年7月26日火曜日

大量殺人犯のロジック

ニュースを見て本当にやるせなくなりました。

殺された沢山の方々、傷つき生死の境を今も彷徨っておられる多くの方々、大怪我をされて体にも心にも傷を付けられた方々に何と声をかけて良いのか言葉もありません。犯人の男は薬をやっていたということですが、もとより統合失調やパラノイアを持っていたのか、もしくはそれに被さって薬が影響を及ぼして思考を撓めていったのか。

連行される茶髪の男がにこやかに笑って居るのを見て「駄目だ、壊れてる」としか思えませんでした。
衆議院議長に当てた手紙やその他の文面を読んでみても、思考回路が完全に焼き付いてしまっているとしか考えられない内容。この男、以前措置入院のヒストリーを持っていたという報道がありますが、周りが気づいていても精神科医に出来ることは実は限られているということはご存知でしょうか。

私は精神科医ではありませんが、いわゆる”頭のオカシイ奴は永遠にぶち込んでおけ”式の議論は現代ではまったくもって通用しない状況で、もし留めおくことが出来るとすれば、司法の力しか無いと思うのです。

もし彼が、今回違法薬物を利用した事による幻覚妄想状態がもとになって措置入院に至ったのであれば、違法薬物のネガティブな効果が消退し、症状が落ち着いてしまい”自称他害に該当しなくなれば”精神科医は入院措置を解除することが義務なのです。

その後、一旦患者が退院してその患者が幻覚妄想状態などのによって異常行動に走り犯罪を犯したとしても、一度治癒したとみなされ、病気という状態の連続性が途絶えてしまうため、犯罪の発生を事前に想定することは不可能という建前です。何か悪いことを起こすかも、、、という可能性があるだけで、その人間を病院に閉じ込め続けることは21世紀の精神科医の選択肢には残されていません。(いわゆる人権という名のもとに・・・。世界中がほぼその方向性です。)

これは完全に私見ですが、薬物依存者に対する司法による罰則をもっと強烈にする必要があると考えています。世の中にはファッション感覚でXXエクスタシーだの、大麻だのを吸引する連中がいますが私からみると元々そういった依存性薬物に対する精神的な敷居の低い人間が誘蛾灯に集まる我のようにそういった薬物に手を出す傾向があると思っています。

厳罰化によって驚くような行政罰や刑事罰を下すことによって違法薬物による社会の崩壊を見るよりかはコスト的には遥かに安いと思うのですが、、、。国によっては麻薬の所持だけでグラム単位による信じられないほどの司法による制裁が待っております。

それにしても、障害のある人達を消すことによって社会を救うというこの馬鹿のロジックは昔から消えては現れる愚かな論法。この論法をロジック通り進めていくと、世の中には筋肉隆々で理知的な病気ひとつないイケメン男性とセクシーでこれまた知的な子孫をたくさん残す能力の有る美人のみが生きることを許される世の中の出現となります。

まさしくナチスのマッド・サイエンティストであったメンゲレの世界観ですね。障害を持つ子供の親、病に苦しむ患者さんを治療する医師としては死んでも許せないロジックです。

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2016年7月25日月曜日

猫侍

というわけで猫侍。

勿論、このドラマの中心軸は猫侍の俳優さんと猫。
そう言えばこの男性、薬用トニックかなんかの宣伝で、当直室のテレビで見た事ある人なんじゃないか?と思っていたんですが、名前は北村一輝という方だそうで、いわゆる”イケメン”という人ですな。世の中の多くの女性はよくご存知なのかもしれませんが、私は例によって全く知らず。

目と眉の周辺に非常に印象的な造形を持っている俳優さんですね〜。
しかし、この造形部分こそがこの猫侍の侍役に必要とされる資質そのもので、すこし眉をひそめると”怖い顔”になります。w 一番簡単に言うと初代仮面ライダーの藤岡弘そっくり。
役中ではこの怖い顔を壊さぬようにしているというけっこうきつそうな役どころなんですが、このシュールな顔にして剣の達人、それでいて心根はとことん優しく、優しい目線を持っている男。

しかし、”武士たるものは〜”と言うお題目に縛られてその内側を見せることが出来ぬ不器用さの表現が実に(・∀・)イイ!!
このドラマを見ていてつくづく思うのは笑いを取ろうとしたらその笑いを取る側の人間が真面目であればあるほど、その瞬間がやってきた時の笑いの量と質はでかくなるんだな〜、ってことでしょうか。

こういう笑いに関する研究なんて言うのはプロの人達にとってはアタリマエのことで、かつそんなのは基本中の基本なんでしょうが、私にはこの”温度差”こそが笑いの基本なんだねってことを私なり個人的な咀嚼レベルで一人納得して画面を見つめながらクスクスしっぱなしでした。

この猫侍。コメディーとして本当に秀逸な小品ですよ。
しかし気になるのはシーズン1で出ていたドナツボウを売っていた平田薫ちゃんといういわゆる”美人”からはちょこっとだけずれた感じの女優さんが可愛いな〜!と思ってたんですが(テレビ俳優さんで可愛いなって思う女優さん自体が私の場合ほぼ皆無なので、珍しかったです。というより、すこし不遇な境遇役ってところに多分入れ込んだんでしょうね。私にありがちなパターンなんですが・・・。)、それがシーズン2ではサラッと出てこなくなっててちょっと寂しいなって感じた名古屋のオジサンでした。

皆様も今まで観てなくて、もしチャンスがアレばプライムで御覧になられてはいかがでしょうか。

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2016年7月24日日曜日

アマゾン・プライム

猫侍・TV版・シーズン1を観ました。

これ、2013年の10月から12月にかけて放映されていたものだということをwikiで知りましたが、その元々のきっかけは日本のamazon primeで一覧表の中にあった高評価のドラマの中の一つとしてのものでした。

そもそも、この時期は私がアメリカから帰国する直前でしたので、未だ日本のテレビ番組などというものは全く知らない頃で、それがこういう形でセレクションの中から浮き上がってくる良い時代になったものです。プライムに入っていると、配送などの特典だけでなく、こう言った様々な特典が時間を経るごとに増えてきているのは日米ともに間違いない事実です。

アマゾンは間違いなくこの”Prime”の特典を今後も拡大することでアマゾンの会員を可能な限りこの得点中に誘い込み囲い込もうとしていると思います。ワタシ的にはこのプライムは年会費を払って十二分にお釣りが来るサービスだと思っていますので、今後もアマゾンが手を抜かない限りはこの会員資格を継続するつもりです。

この会員資格に関してハッキリ言えるのは、家族の中で支払いをする人物が一人持っていれば”通常は”充分でしょうというもの。ただし、一つ屋根の中でPCが何台かあって見たい番組が重なった時には複数のアカウントが必要になってきますが。

しかし、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスというのは本当に強烈な思考回路の持ち主ですね。
意思と決断力、遠い未来を見透かすような千里眼。こういうのを本物の知性というのでしょうか。無論、ビジネスという意味での知性ではあるのでしょうが、彼の知性は学問という世界とは別の側面から世界を変えていっているのは間違いありませんからね。

ただただ不思議に思うのは、一体全体、どんな素質を持った子が、どういった育てられ方をしたら、こんな凄い男になるんだろうということ。彼の成人以降のことはよく知っていますし、子供の頃の断片的なエピソードも読んだことはありますが、それらのモザイクを組み上げたところで、彼の本質的凄さと言うのはなかなか理解できるものではないと思います。

インターネット・コマースの時代の黎明期に丁度居合わせた運のよさ間違いなくあったわけですが、同じようにスマートで、同じように起業できる立場にあった人間達は彼のようにチャレンジする事は無かったわけで、やはり骨太の骨の太さが並ではないという事なんでしょう。私がアメリカに居た時、アマゾンは連続してずっと赤字。来年はあるのかなどとも言われていた頃までありましたが・・・。それでも、投資家にノーと言ってでも、より良い未来の為には、他人がなんと言おうと”自分に見えている未来”を現実として引き寄せて、本当に実現させて今に至っているというアッパレさ。並の頭脳と胆力と運ではどうしようもないほどの太いものを持っているんですなぁ。

あれ?最初は猫侍のこと書こうと思ってたのに・・・。ま、いいか。w

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2016年7月23日土曜日

義務教育レベルの基礎学力

准看の学校に行きたいとか、正看護師になりたいと言う人達の勉強を見ています。

しかし、何度勉強を教えても一番困るのは基礎の基礎たる土台の部分が全くできていない子達が異常に多いことでしょうか。もう一つは根気の無さ・・・。欠けている根気の方は、私の場合はインセンティブではなく”例え話とペナルティ”でなんとかしようとするのですが、そもそもいろいろとこみ入った話をしてもそういったことを理解出来るだけの日本語の基礎が出来ていない事が多いことに驚きます。

准看から正看護師になろうという子はまだしも、本当に高校卒業の資格持っとるんか?というような子の中には、准看の学校に進学したいと”口では”言うけれども全く中身が伴わない子達の”問題の多さ”にガックリすることが多いです。

こう言った子たちの最大の共通点は、実は”もしも”の話が全く頭の中で再構成できないことでしょうか・・・。「仮にXXだとして」とか、「もしXXだとしたら」というような話を切り出すと途端に??という顔をされることが本当に多いです。それは、問題の解説においても、実生活上における今後の展望の話においてもしかり。近い将来において自分が看護師として働いている姿というような簡単なことも思い描けない。

要するに、具体的で極々身近な眼の前で起きている話しか頭の中に再構成できないのです。人が”解った!”という境地に達するためには、頭の中でその事実が図示化出来るとか、途中のステップ無しでも、当たり前のものとしてわかるからわかる、などという体験が必要なのでしょうが、彼らはそこに至るまでの”しつこく考え続ける”という作業が非常に苦手、もしくは行わないのです。

誰にでも、低いレベルから高いレベルまで、いろいろなレベルでの”わからない”ことを解るようにする為の経験と訓練がなければ次のステップへの展望は開けないという日常がありますが、そのステップを今までどれだけ積んできたかがネガティブな意味で如実にわかることが彼らとの受け応えをしていると本当に多い。orz

小学生が”いちたすいち”が解った日から、数学者が素数の分布のある事実について新発見をするレベルまで、真理を理解するための多段階のステップの基礎が出来ていないために、前に進めない、上に上昇していけない子達の何と多いことか・・・。本当に残念でなりません。20歳になっても1次関数は愚か、日本語の読み書きの基礎が出来ていない子が高校卒業の資格を持っているという事実が最初、俄には信じられませんでしたが、実際にこれだけの”人生における次のステップへの準備”が出来ていない子達が、群れを成しているのを見て、彼らを取り敢えず准看の学校に試験だけ通して押しこむのは果たして正しいことなのか・・・。

看護師になったとして、果たして点滴の逆算が出来るのか、正しい日本語での確実な指示の遣り取りが出来るのか、患者さん達と正しい言葉遣いでスムースなコミュニケーションが取れるのか、、、。

義務教育は本当に偉大だと思います。義務教育がきちんと消化されていれば、人生における生活には全く支障がないはず。それから先はその組み合わせによる応用編ですが、基礎が余りにスカスカ、特に日本語自体が駄目だとその先の全てのことの積み上げが本当に難しいと、彼らを見ていると感じます。

彼らが”言葉を疎かにするものに未来は無い”と、改めて嫌になるほどわかるのは、失敗を重ね、老いて悔いるまで発生しないのでしょうか。それでも気づいてくれれば、まだ、遠い未来にはその子の子達が変わるチャンスもあるかもしれませんが・・・。

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2016年7月22日金曜日

結構冷えている

夜の名古屋、実は今暑くありません。

夜、窓を開けて気付いたのは「アレ?」というくらいの涼しい空気でした。
スマホの天気アプリを見てみると、外気温は23度とか24度位。これなら冷房など必要ないし、扇風機をつけていれば逆に体を冷やしすぎかねないほどの気温です。夜に窓を開けて外の景色をじっと眺めていると結構ひんやりした空気が体全体を包み込んでくるのを感じます。

名古屋の夜は特に週末に限らずとも、遠くの幹線道路から珍走団の爆音とともに”パラリラ・パラリラ”とかいう音が聞こえてきますので、心のなかで「他人を巻き込むなよ〜」と祈りながらじっと暗闇を見つめていると心が落ち着きます。
何もしない、何も考えない時間というのは日常生活の中で大事な時間だと思うんですけど、果たして外からのノイズ無しのそういう時間をどれほど自分が持っているのかと問われると実はゼロだったりする日も多いような・・・。

以前、歴史的に有名なスパコン"CRAY"の研究者として有名なシーモア・クレイ博士の伝記を読んだことがありますが、彼は家の下に黙々と、それこそ黙々とトンネルを掘り続けることを趣味にしていた奇人でしたが、彼曰く、「掘っている時にアイデアが湧いてくる。妖精が語りかけてくるんだ」等と話していました。

凡人が同じことを言えば”発症?”と疑われそうですが、彼ほどの頭脳と実績の持ち主がそういう発言をすると、そういった何かの単純作業に一心不乱に取り組む時間というのは人の思考にとって特別な引き出しを開ける機能を持っているのかもしれない、と考えさせられます。

そういえば、私にとって一番頭が働く時間は昔からシャワーを浴びて居る瞬間です。いろいろとしないといけないことが頭に浮かんできて、結局その数分で考えたことにもとづいてその日一日を過ごしていく・・・みたいな感じでしょうか。
レベルは様々でも、そんな時間が誰にでもあるんじゃないかななどと考えてみたりするのですが。どんなもんでしょう。

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2016年7月21日木曜日

アメリカの嫁さんと競争

見えないけど見える。

そんな競争をアメリカに居る嫁さんと12時間の遅れを経験しながら毎日競争しております。
日本に到着したFitbitを左腕にはめて家と病院を往復しはじめましたが、残念ながら嫁さんには着用し始めてのこの3日の間、一度も勝てておりません。orz

今回フィットビットを使用し始めて関心があったのはスマホの歩数計である"STEPS"との誤差、そして二つ目は嫁さんと競争してどちらが勝つのだろうか?ということでした。

到着したFitbitはまずFitbitのウェブサイトにアクセスしてデスクトップ用とスマホ用のそれぞれのソフトをインストールしてbluetoothで接続開始。アカウントをセットアップしてすぐにデータがアップデートされていくのが判ります。また、それぞれの人が目標としてセットアップしたレベルや、Fitbitが設定している幾つかの数値を超えるごとにFitbitからバッジが賞として送られてきます。

手につけて測っている歩数計の方ですが、スマホを同時にポケットに入れている間はそのカウントはほぼ同数と考えと良いようです。しかしながら、やはり”ほんの一瞬”手に持たなかったりするスマホとのカウントの差は常にリストにつけているFitbitとは徐々に徐々に差が開いていきます。まあ、無理も無い話で、当初より当然の如く予想された話ですが。

その数字の差は勿論一日の歩数次第で、その歩数が増えるほど差が出ますが、私の歩数では一日ごとに約1,000歩前後というのが平均的な数字のようです。Fitbitを外すのはシャワーを浴びたり風呂にはいる時だけですが、スマホもほぼ同時に使わなくなりますので、拡がったその差は縮まりません。

さて、もう一方の疑問である嫁さんとの差ですが、、、これはもう圧倒的な差で、何故か嫁さんの勝ち。w
Fitbitには同じグループの中に人を選んで何人とでも競争する機能がありますので、そこでメッセージをやり取りしあったり、数字の比較をすることができます。そこでやり取りされる言葉といえば、今の時点では嫁さんの上から目線と私の側からの「貧乏ゆすりでもして数を稼いでないか?」と言うショートメッセージばかりです。w

これは週末にでもドカッと動いて週の平均で勝つしか無いですね・・・とはいえ今週末は当直。無理っす。orz

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2016年7月20日水曜日

親父にスマホの説明・・・orz

暫く前に九州の実家に久方ぶりの電話をしてみました。

出てきたのは親父さん。何だか喋る様子が変です。
なんとなくくぐもったというか煮え切らない感じでの話の切り出し・・・。よくよく話を聞いてみると、私が帰国後に名古屋で購入して「これ使って」と渡しておいた親父の緊急連絡用ガラケーを先日の大雨で濡らしてしまったとのこと。

雨が降ることに対する予想が甘かったとシキリに反省の弁を述べておりましたが、まあ、それはしょうがないです。w
という訳で、以前から、たとえ親父達にスマホという現代の便利マシンを渡してもそのスマホの能力を使い切るか、いや、スマホのような平たい画面に対して操作を加えるという事を”怯えずに”出来るのか?殆んど原始人が火を初めて見た時のような反応を示さんかな?等と、疑いまくっておったのでありますが、ついに次の段階に来たようです。

というわけで、私がオヤジとの連絡用に最初から別に家に置きっぱなしで持っていたもう一台のアンドロイド・スマホをすぐにパックして送りました。(元々母親用にもと思って購入していたのですが、結局送らずじまいで家に置きっぱにしておりました。ほぼ一年殆ど使っていなかったもので、月々の通話料も他のスマホ機能を一切カットしてあるという変わった契約の、ガラケーと同じ機能以下のスマホの形をしただけの遊びマシンだったので、サッと送りました。)

問題はやはりありました。
田舎に電話が到着したことを実家の固定電話にかけて確認した後、親父に画面の9個の点をなぞって最初の待ち受け状態のプロテクションを解除するように説明するのですが、これが難しい。w 今時の小学生なら瞬間的に理解できるはずなのですが、どうもこれが上手くいきません。orz

私は「9個の点を左上から右上にまっすぐ3つの点に触るように動かして、次にそのまま指を離さず、一番下までスッと指を動かして、同じように一番左下の点まで指を動かして、そのまま最初の点へ指を離さず戻って行って。」
「要するに画面から一度も指を離さずに、一筆書きの要領で四角の辺を一番左上を開始点にしてグルーッとなぞる感じで触ってくれる?」と何度も言ったのですが・・・。

電話口の向こうから聞こえてくる親父の声は「うん、わかった。いーち、にーーい、さーーーん・・・。何も変わらんぞ!(戸惑いの声)」これを数回繰り返したあと、私から親父に「なんで四角形を書くのに三で数字が止まるん?」と聞くと無言。なんでそこが三なんだ爺さま〜。w

「最初の点に戻るんよ?一筆書きよ?」と私は言いながら、更に最初の説明をもう一度繰り返します。
数字が強い人相手なら、点に数字を割り振って、そこの一筆書きの順番を数字で教えるということも出来るのでしょうが、いまいち怪しいオヤジの数学、、、という訳で、5分ほど対話をしているうちに突然「あ、なんか出てきた〜:)」という子供のハシャギ声のような爺さんの声が聞こえてきましたので、内心「┐(´д`)┌ヤレヤレ」と思いつつも、「これで俺に連絡つくね!今、こっちに電話かけるのその電話機で試してみて」と言ったところ、電話口の向こうから「あ、画面が真っ暗になった!」と慌てた声が。orz

年寄りは世話が焼けるの〜、と苦笑いしつつそのまま話していると「まあ、俺は年中ヒマやから明日また携帯ショップに行って説明聞いてくるわ」とのたまわりましたので、私も即座に「それが良い!」と言ってお開きとなりました。

爺さまがんばれ!w

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2016年7月19日火曜日

句集を頂きました

今日は訪れた老健の施設で予想外のものを頂きました。

80過ぎのいつも物腰柔らかなおばあさんの診察を終えた時に私の目の端に入ってきた本棚にそのおばあさんの名前と同じ名前が著者として書かれた厚さ一センチを少し超えるほどの本を偶然に見つけたのでした。
本棚はその人の脳の中とその人そのものを表すと信じている私は、この、認知症とは全く無縁の理知的なおばあさんの事に実は以前から少し興味を抱いていたのですが、何と俳句をも出版するような方だったと改めて知ったのでした。

失礼ですが、、、と手に取って中を開くと驚くような量と質の句が飛び出してきて目の前に広がります。
正直にそのおばあさんにいくつか読んだ句の感想を伝えると、「もしよろしければ一冊貰っていただけませんか」と仰って、箪笥の抽斗から新品の同じ本を一冊私にプレゼントしてくださいました。角川書店より発行されている立派な装丁の本で、有り難く押し頂きました。

奥付の著者略歴をみると私が生まれるずっと前に奈良女子大学を卒業と書かれておりました。
大学が未だレジャーとは無縁だった頃の真の学士を排出していた頃の奈良女子大卒の方でした。(下らない比較ではありますが、今でも偏差値は東京女子大とどっこい位の高さですね。知りませんでした。ナラジョが入学が難しい大学の一つであることは私も高校生の頃からよく知っておりましたが、成人してからはあの大数学者の岡潔先生が教鞭を執られておったことを知っておりましたので、その在籍年代を調べたら充分に岡先生の授業を受けられた可能性のあるお年でしたので、また今度チャンスが有ればお話を伺ってみたいものです。)

真摯に磨かれ、熟成した知性というものは老いてなお、十二分に機能的であることを再認識した一瞬でした。恥ずかしい限りですが、知性というのは一生にわたってヤスリで磨き続けなければならないと私自身が診察の帰路に深く反省させられた今日一日でした。
死ぬ直前まで己に鞭を当て続け(駄馬であることは充分自覚した上で)前に前に進んでいきたいと思うのです。

大先輩の凛とした日常の姿勢の源は、こう言った内面の輝きが外に漏れ出していたのでしょう。
己の不明を恥じるとともに、また先輩に教えを請うチャンスもあるであろうことを願う私でした。

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2016年7月18日月曜日

名古屋の梅雨明け

全国的に梅雨明け宣言がされたようです。

それにしても暑い・・・。雨が降ろうが晴れようが、ムシムシムシムシとする”日本の夏”はやはりアメリカとは違うアジアの夏です。今年の夏は平均して例年の三倍の熱中症発生率とかいう話をニュースで読んだような気がしますが、それも納得がいくような暑い名古屋です。

夕方のある時点で名古屋は確か31人が救命救急で熱中症が原因で手当てを受けたとか言ってましたが、命にかかわるレベルでなければ、と祈らざるを得ません。年をとると体感温度のコントロールがおかしくなる人は極普通にいますから、普通の若い人がじいちゃんばあちゃんの部屋に入ると文字通り”ムワッ”としていることも稀では有りません。

質が悪いのは、歳を取ると、水分量がもともと少ないために若人と同じ量の水分を失うとそのダメージはよりシビアになるということ。要するに水分喪失に対する緩衝能力の低下ということです。
メルクマニュアルより。
上の表ではでていませんが、加齢に伴い女性のほうがより水分量が低下するのです。病棟でじいちゃんばあちゃん達とすれ違う度に「水分補給、水分補給」と念仏のように唱えておる毎日でます。

早く秋が来ますように!って気が早えわ。w

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2016年7月17日日曜日

限界集落という考え

田舎に行くと生活上の不便さにおいては驚くようなところが今でも沢山あります。

どんな意味で驚くかというのがこれまた多種多様なのですが、大きな街での”フツウ”の生活に慣れた人にとってはコンビニが無いということを始めとして、日常生活における”便利”を演出してくれる種々のものが日常生活の移動範囲に無いという表現が一番ザックリしていて良い表現かもしれません。

しかし、不便と感じる程度には個人による感じ方には大きな差があって、生まれ育ってきた個人の体験によるものが非常に大きい事は、多くの方が納得されるのではないかと思います。

近所にコンビニがずらりと各種揃い、夜も大型電気店が夜遅くまでネオンを輝かせ、金さえ出せば24時間いろいろな食事が出てきて、地下鉄が夜中になっても普通に走っているようなエリアで育った人にとっては、夜の7時頃には商店街のシャッターがほぼ締まりきり、あとは地域の顔見知りの人達が三々五々集まってくるような夜の店が数件開いているような地域に旅で行ったりすると、最初はそれを風情とか旅情とかいう言葉で表現するでしょうが、生活が長くなると居住地域としての見方は全く別物になってきます。

日常生活の必需品を揃えるショッピングの問題のみならず、郵便局や医療施設、消防その他多くの事にまたがって今までのように近所にそんな施設が無いことが当たり前の生活がそこで始まるわけです。
元々そんなことに耐えられる人達というのは、無いことが当たり前の状態で生活してきた人達でしょうから、便利になることを便利とは感じても、不便を不便だと感じる大きさが便利な状況しか知らない人達よりかはより小さいはず。

しかし、かく言う私にとっても、ど田舎から出てきて、いろいろと街の便利さを知ってしまうとやはり生活上の種々の便利さという点における逆戻りするという行為は相当に難しい決断になってきます。
ショッピングなどはアマゾンその他の郵送で済んでも、もっとも問題となるのは身体の安全です。これだけは家族持ちには譲れない大切なポイント。たとえ己はどうでも良いと嘯いたところで、家族の一員には迷惑をかけられないのが家長の責任。

教育、警察、消防は無論ですが、最大の、そして最もお世話になるのはやはり医療機関。この一点が揺るがせであればどうしても家族の安全が疎かになります。それが維持できないことになっているのが多くの限界集落と言われるエリアです。

ここ十年ほど限界集落という言葉がよくメディアを賑わしてきましたが、人口が収縮していく今の日本においては、公共事業に金を使ったり、補助金をズバズバ全国にばらまくことには何のビジョンもなければ成果もない、ただのジジババの集票目当ての一時しのぎ策でしか有りません。そもそもその財源自体が枯渇していますし・・・。

コンパクトシティ化による地方都市のレスキューもアイデアとしては叫ばれていますが、そもそも既に大量の限界集落が存在する日本においてはそういった最低限の公共サービスが享受出来ないエリアであったところで、職を探す困難さに伴う経済的な理由や慣れ親しんできた土地への愛着、今更になっての他の土地へ移動しての生活の不安などが複雑に絡み合って、多くの人をその土地に縛り付けているのですから動かすのはそう簡単では有りません。

それでも、文句を言わずにそのまま「そんなもんだ」と割り切れればよいのですが、そういかない人達も居るわけなんですね。特に便利だった頃を体で覚えてしまった人達にとってはかなり無理。そのなかでも医療機関の質が低下するのは耐えられない人が多いようです。

寂れていく町、街、市の中には公立病院を維持できずに医者に逃げられていく自治体があり、医者のコミュニティーではよくそれらが話題になって、ネット上で投稿に返信が沢山付いています。しかし、そうなるに至った内情を知れば知るほど、多くのそういった自治体では首長や議会の無策ぶりと無理解が最終的にその自治体で医者をそのエリアから蹴りだしてしまっている事が多いのが内情。

しかし、その議会を構成する人選の主体であるそのエリアのサービスの享受者たる住民自身が全く医療従事者の事を「金を払っているんだから24時間働け」みたいな感じで見ているひとが多いのに呆れてしまいます。じつはそこにつぎ込まれている金も地方交付税交付金などからやってきた国や都会が稼いできてばら撒いているお金が元になってるわけで、サービスをリクエストしている住民が稼いだものではない事が殆んどなんですけどね。年金をあまり払わず世界でも稀なほどの奇跡の医療レベルを享受している世代にはそういった仕組みは全く理解しようとはしないひとが多いのです。自分たちにとって少しでも理解できない改革案が医療者側から出てくると「オマエ何様?」モードに移行してくる事がしばしば。

挙句の果てには僻地まで来てくれて、勉強や安定した収入のチャンスを蹴ってでもその地域の医療の維持のためにと、やっと医者になってくれた先生たちの日常を監視して24時間縛り付け、あらぬ噂でボコボコにして追い出すなんていう連中も居るという。もうこうなってくると、殆んどマゾヒズムの世界なんですけどね。w 
噂は噂を呼び、その噂は医療者のコミュニティではネット上の情報としてきっちり残る時代です。そういった自治体はまともな医療サービスを受けられなくなって益々医療サービスの質は低下して、、、という悪循環を生じ始めるわけですが、まあ、それも元はといえば身から出た錆。

医者は新聞紙や週刊誌が語るのとは違って、多くの公共病院のドクターが自己犠牲も厭わず身を削って時間外労働をやっています。しかし、それはそのサービスの享受者の笑顔と感謝があればこそ。金を積んだから、札ビラで横っ面をはたいたからと言って発生するるような類のものではないのだということを全く解っていない”知性のイナカモノ”が多いことには呆れるばかりですが、まあ、そういったところは自殺しているのと一緒ですから何も言いますまい。

そうやって頑張ってきた挙句に最終決断としてその病院を去る決断をされたあるドクターのお話を読んで、改めて日本の田舎は縮んでいくだろうなと考えた次第です。

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2016年7月16日土曜日

当たり前だと思っている日常は・・・

宮城で震災に被災した人達の復興の様子を見る番組をたまたま見ました。何気なく医局の当直室のテレビのスイッチを入れた時に画像が目に入ってきたのですが、遂に最後まで見入ってしまいました。

昨日まであった日常が今日は全く消えてしまい二度と戻らないのは”言われれば”頭では解っても、常日頃はそんなこと自体考えもしません。しかし、どれほどの人が今日という日がまた明日も何事も無く続くと信じているかというと、正直なところそれさえ何も考えず、というのがいわゆる”普通の人”、凡人の凡人たる所以だと思うんですよね。

私だって明日の朝起きてみればもう冷たい体になっているかもしれない、今日の夜に大地震が起きて建物の下敷きになるかもしれない、道を歩いていて車にはねられるかもしれない、擦れ違った人に殴り殺されるかもしれないというような、”かもしれない”と言う可能性を積み重ねていけば、本当に明日が暗くなるほどの世界が出て来ないとも限らないのですが、それが己に降りかかりそうだと心で強く感じてしまうとそれはもう”うつ病の世界”となるわけで。

明日の暗い世界を想像せず、明日起きるかもしれないなにか良いことを想像できるからこそ(もしくは何も考えていないからこそ?w)、普通の人は落ち込むこともなく今日や明日を生きることが出来るわけですので、

それでも、私たちは今日自分たちの周りに当たり前のようにある”日常”の素晴らしさを本当はもっと感謝して生きていけないのかなとは考えるのですが、その”感謝をしなくても済むということ自体”が日常の何気ない生活というものが如何に私達の生活の質を保っているのか考えると、人間の平穏な人生なんていうのはやっぱり殆どイベントとしては日常生活で起こらないことの期待値の掛け合わせなんかな〜って考えてしまうのでした。

結局は一日一回という意味では稀なイベントであっても、一年365日、それが何十年も続いていけばその期待値は日々刻々と累積していくわけで、人生のある時期ある日において”明日死ぬ”と言う日が累積した期待値1になる現実として起きる日がやってくる・・・。

家族との何気ない会話、大切な人との何てことない会話。愛した妻や子供達との会話、老いた両親との何気ない連絡。
テレビを見ていて考えたのは、何気ない今日が明日も続く保証など、どこにも書いていないという当たり前の事に改めて考えが及んだ大切な機会でした。

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2016年7月15日金曜日

納涼会第二弾

今年ももう病棟主宰の納涼会の季節。

基本的には余り出たくもないのですが、日頃の仕事の経緯上、そういう訳にも参りません。ということで、本日は昨日に引き続いてのアルコールなので余り体にはよろしく無いかとは思うのですが年に数回はそういう事もありということで突撃です。

本来は医師ですので、病棟内での権限は我々がランキング上は最も高いのですが、それはそれこれはこれで病棟を一歩外に出ればそこら辺りが緩んでくるのは何処も同じ。若手が飲めば私も飲まざるをえないのが辛いところ・・・。
若手と一概に言ってもそこは20代から30代まで幅広く揃っておりますので、波状攻撃は一対多対応状態です。orz

野郎同士楽しくそういう飲み方をしていた所に登場したのが元体育会系とか言う女性医師。実にねちっこく訳の分からない理屈で私に絡んでまいりました。こちらも大人の対応をしておりましたが、飲みグセの悪い女性とかもうタダタダご勘弁願いたいものです。

私があちらの席に移って他の若手と盛り上がっているとそこに来て首を突っ込んできてネチネチ。そこを私がそっとそこを離れて他の看護師さんや事務系の男性諸君と話しているとまた割り込んできてネチネチ。ちょっとこちらもウンザリと言う感じでしたが、相手が年上ということもあり軽く流しておりました。
誰も他に相手してくれんのかなと、ちょっと可哀想でもありましたが、男だろうが女だろうが飲み会の席で訳のわからん先輩風を吹かす輩と酒癖の悪い奴は昔から嫌いでしたので、次回からはこの女医さんが出るにはこちらの方から金だけだしてトンズラしようかな〜等とも考えてしまった夜でした。

酒は飲むなら楽しく飲む。

酒宴というのは常にそうあるべきだといつも考えている私です。特に歳が上になってからは、後輩達の前でみっともない発言をするような職場の先輩にだけはなりたくないものだと心がけているつもりです。

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2016年7月14日木曜日

アメリカ時代の友人と飲みました

今日は少しだけ病院を早抜けさせて頂き、名駅へ向かいました。

理由は簡単で、リッチモンド時代に知りあったある化学メーカーの友人が、三重出張から名古屋経由で千葉への帰宅途中に名古屋で一杯!とのお誘いがあったので、是非も無く参加させていただくこととなりました。

場所は・・・名駅傍で先日の友人との飲み会で気に入った牛タンのかわせです。
友人のほうが先に名駅に到着し、スマホで連絡を取り合いながらの会合でしたが、先に行った友人曰く「横丁の長屋の右半分が開いてない、、、」とのこと。五時という待ち合わせの時間が少々早いこともあり、店が開いてないのかなと思いつつも、”もし定休日だったら友人に申し訳ない”と思いつつ、焦って名駅から小走りで店の方へ近づいて行くと、居りました居りました懐かしい顔が。:)

遅れた非礼を詫びつつ二人で横丁を覗き込んでみると、何と眼の前の暗がりでまさに店の暖簾を嵌めようとしている二人の人物の影が見えました。二人で顔を見合わせて近づいていくと案の定”ただいま”が開店時刻。取り敢えず私もメンツが経ったというものです。(よくわかんないメンツですが。w)

中に入ればあとはもう二人の変わらぬ再会を祝しながらビールのジョッキでグイグイ飲んでいきます。ホルモンや牛タンに舌鼓を打ちつつも、仕事の話、アメリカでの想い出、子供の成長等などこれまた尽きることがありません。
中でもやはり私とは近くても違う世界に住んでいる彼の業界の話というのはやっぱりいくら聞いても私の耳には「へ〜」というようなことばかりで面白くてたまらなかったですね。やっぱり違う世界の人達と知己であり続けることは人生において幅を広げ狭い世界に閉じこもらないためにも大変大切なことだなと改めて考えました。

しかし、そうやって話しているうちにも時間はあっという間に過ぎて彼の新幹線が東京へ戻る時間が近づいてきました。彼は一本新幹線を遅らせるという考えを出してきたのですが、奥様と娘さんのもとに元気で彼を返してあげるのも私の義務。残念ではありましたが、次の東海出張である約二ヶ月後の再会を約束してアメリカ風に握手で別れました。

暫くして、LINEでメッセージ。「帰りの新幹線では爆睡でした」とのことでした。
彼の仕事が成功し続けますように心より祈っております。またの出会いが愉しみです。

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2016年7月13日水曜日

ガイジンさん

今日は「ナルホド」と言う瞬間がありました。

朝、車を運転しながら病院の手前に入るときにヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭に巻くあのスカーフのことです)を巻いた中学生の女の子が居ました。ごく普通の日本の中学生のセーラー服にヒジャブ。
よく考えたら今の日本はそれほどいろいろな国のいろいろな宗教や人種の人達とその子供達が当たり前のように生活しているんだな〜って感慨深いものでした。

アメリカに居たころはヒジャブを身にまとっている人なんて言うのは同じラボにも居ましたし、すれ違うのも極々日常でしたが、良く考えたら日本では本当に見てませんでしたね。しかし、中学校でこの子はどういう様に友達を作っているのか、日本のように同調圧力の強い国ではどうなんでしょうか。

まあ、よっぽどの根性腐れでもない限り姿形が違うからといってそれをイジメのソースに使う輩はいないと思いたいものですが、大人になってもそれが出来ないxenophobia(ゼノフォビア)っちゅう連中がどこの国にも一定の割合で居ますからね。

名古屋というところは東京ほどではないのですが、やっぱ田舎に比べればガイジンさんが多いのは間違いないです。それでも、、、やっぱり基本は日本人ばかりという感じ。他のアジア各国の人達の顔が多いのを入れたところでダイバシティーは小さい。名古屋駅周辺や名大周辺でこそ様々な人種を見かけますが、やっぱ基本的には”寂しい”レベルです。

いっときほど国際化という言葉は叫ばれなくなりましたけど、移民受け入れが難しいのは種々の意味で単純な話で無いという前提は”当然”としても、その対象たるガイジンさんが家の周辺に住んでいるだけでなんか違うなと思うような人達がたくさん居るような国では国際化なんていうのは永遠の画餅でしか無いだろうとフト思うのです。

習慣が違うと受け容れ難い、考え方が違うと受け容れ難い、容姿が違うと受け容れ難い、XXが違うと受け容れ難い、YYが〜、、、。こういうのって、やっぱり小学生の”皮膚”感覚の延長なのかな。
人と異なることを恐れる人が多い国では、違うこと、変なことはやはりある意味和を乱す”悪”なのでしょう。
世界にはそんな国が一杯です。

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2016年7月12日火曜日

ブックマークの整理を思い立つが・・・

ブラウザを使っていると、良いページに巡りあうことが頻回にあります。

しかし、そういった”良い”ページは世の中で誰にでも公開されているものだけをピックアップしていっただけでもそれこそ「無数」と言っていいほどあるわけです。日本語のページだけでも大変。ましてや他の言語のものまで合わせると爆発と言っていいレベルでの多数の”自分にとって”良いページと言うものがあるわけでして・・・。

単一の項目や記事に関して”ソレだけ”が欲しいのであればEvernoteにクリップしさえすれば、とりあえずはその情報を取り込んでひとまず安心(その後再活用されることは稀ですが。w)という事になります。また、そのサイト全体が多数の情報を有し、かつその内部の検索機能が充実していればそのポータルのホームページさえブックマークしていれば問題ないことになりますが、そういった類のページだけでもこれまた大量に存在するところが悩みの種です。

そうやってブックマークしていったものが毎日とは言わずとも、数年に亘って澱のように溜まり続けると、最後には鬼のような数のブックマークが出現と相成るわけです。昔のブラウザでは(特にFirefoxでは)このブックマークが膨大になると、ブラウザの速度自体が極端に低下してしまうといった症状も出てきていたものです。いまでこそ、そんなことはどのブラウザでも見かけなくなりましたが。

この大量のブックマーク、後になって自分がブックマークしたところを再訪してみても、一体全体何のためにそこをブックマークしたのかさえ全く思い出せないようなところも沢山ありまして、そういうところは???とは思いつつも持っていても意味が無いので削除していくわけです。

また、良くあるのは暫く訪れていなかったサイトに久しぶりに寄ってみると内容もろとも全て消えてしまったとページというのも、皆様ご存知の年中行事ですよね。特にこの系統の”消滅”を見せてくれるのはブログ系と日本のニュースサイトでしょうか。(例えばアメリカのニュースサイトは多くの場合、ニュースは古くなっても消されてしまって読めないというようなことは余り経験しませんが、日本の、特に新聞社系のサイトはこの消え方が酷いですね。まあ、後になって読まれるとマズイものを書き散らしているからそんなことになるのでしょうが!)

さて、こうやって書いてみるとブックマークも結局は家の中のものの片付けと基本は一緒って感じですね。
物を増やさない人は一般的にはブックマークも増やさない傾向に有るのかな。それとも、物は増やさないけどブックマークはただだからどんどん増やしてしまう私のような人間も多いのか。

今日久しぶりに掃除しようと思い立ってブックマークの編集ページを開いたらあまりの多さにorz...。今日は部屋の方を”物理的に”片付けることにしました。w

今度当直の時にでも気合入れて掃除しましょうかね。

2016年7月11日月曜日

Fitbit買いました

PRIMEDAYセールというのをアメリカのアマゾンも日本のアマゾンもやっていました。(多分他の国のアマゾンも)

アマゾンのVisa card を持っていたので、元々大幅に安くなっているFitbitの製品を50ドルの割引+30ドルオフの割引で購入できました。一体このFitbitというのは何かということなのですが、知っている人は多分日本でも既に使っていると思うのですが、ライフロガー、アクティビティロガーと言う奴です。

それでは何を記録(ログ)するかというと、それを装着した人の様々な活動記録。特に運動に特化しておりまして、燃焼したカロリー計算その他をスマホと連動させて日々自動で記録してくれるシステムです。
中でも私が買ったのはFitbit Altaと言うシリーズのものでして、日本ではまだまだちょこっと高いのですが、アメリカで買ってカードのリウォードをつぎ込めば上にも書いたように大安売り。

自分の分と嫁さんの分を購入してアメリカの家に送付するようにしました。まあ、私の分は次回アメリカに行った時にでも拾い上げれば良いわけです。先に嫁さんには使ってもらって、睡眠を含む健康管理に使ってもらうことにいたしましょう。

実はコレのもっとも良いところは友だちを誘ったりして、そのログを競い合うことが出来ることなのです。これによって、時として一人では維持することの難しい”モチベーション”という悪魔をかなり良い感じで維持してくれるとアメリカの友人が話してくれました。

実際に彼は巨漢だったのですが、これを付けていろいろ運動し始めるとアッという間に驚異的な体重減と相成りまして、その写真をFBで見た私は俄には自分の眼が信じられませんでした。はい、あり得ないほどスリムにかっこ良くなっていたからです。

というわけで、ちょいと情けない動機なのですが、彼に触発されてどうしても運動不足になりがちな己に叱咤激励の鞭を入れようと思い切って買ったわけでした。あとは、アメリカかでrowing machineを購入して日本に大きい荷物として飛行機積みで持って買えれば作戦終了です。

しかし、究極の怠け者の俺がどこまでやれるのか・・・。
まあ、三日坊主の謗りを免れ無さそうなのですが、取り敢えず文明の力を借りてやってみることといたしましょうか。ドッコラショっと。

2016年7月10日日曜日

参議院選、朝からグッタリ・馬鹿丸出し

今日は参議院選挙の投票日でした。

前回に引き続き、投票所へ足を運ぶために朝からそわそわしていました、が、いつもの私らしく頭の中でのシュミレーションだけはして実物の確認をしておりませんでした。実物というのは当然”投票所入場券”です。
クリアフォルダーの中に入れておいたという頭の中の比較的ハッキリとした残像だけが私の中の淡い頼みの綱でした。

そして投票日の朝になって投票所入場券を探したところ、案の定”そこにある”と思っていた”それ”がありません。orz
そこで、部屋の端から端までここ一ヶ月でものを移動させ書類を積み上げたところを一つ一つていねいに捲りながら”それ”を探していったのですが、20分ほど時間をかけても出てくるのは保険の請求書や奨学金の返済状況証明書等の今、必要でないものばかりです。

「あ〜、もしかしたら!」と思い当たったのは医局の引出しの中。これは行かねばと、早速病院の医局へ直行し、それほど多くはない医局の中の自分のファイルを捲ってみたのですがやはり有りません・・・。
ここまでで時間は10時。起きたのが遅かったのでそんなに時間が経ったわけでは有りませんでしたが、”これはアカン感”は少しずつ上昇しておりました。w

もうこうなったら徹底的に家の中を探すしか無いと思い、取り敢えずもう一度家へ戻ってみることにしました。
心が疲れてくるのを感じつつも、入場券無しでも確か問題なく入場して己が己であることを証明、宣誓すれば投票出来たはず、とは思いつつも、その投票所がどこだったかよく読んでおりませんでしたので、ネットでこのエリアの人間がどこにいけば良いのかを知る方法や、隣近所の人に伺うという手もあったのですが、もう少し探してみよう、でもその前に冷たい飲み物えお一杯、と思って冷蔵庫に手をかけたところ・・・。

はい、ありました。
冷蔵庫の表にマグネットでキチンと貼り付けられておりました。こういうのは普段から”うっかり忘れ防止システム”として使っていないのに、そこをこういう事のため使ってしまうという明らかなミスです。し慣れないことを大事なものの為に使うもんじゃありませんね・・・。馬鹿丸出しでした。

この後は近所の小学校の体育館に行って清き一票をきちんと入れてまいりました。旧社民党・民主党、現民進党の非常に強いこの地域。私が日本に居なかった頃に起きた悪夢の如き愚かな日本の選択を二度と再現させぬためにも、この投票は大切な私の儀式でした。

2016年7月9日土曜日

子供達の言葉の発達

この前、病院の保育園に来ている小さな子供達と少しだけ触れう機会がありました。

この年令の子供達に触れ合うことはこういう特別な機会がない限りほぼ無くなってしまった年齢になってしまいまして、次に機会があれば私の場合は自分たちの娘の子、つまりは孫の相手ということになります。

今日話していると、昔の自分の子育ての頃を思い出して微笑みっぱなしになってしまいました。いわゆる好々爺状態ですね。w
昆虫を数えてる子が居たので聞いていたら、「一個、二個、三個・・・」と数えているので、「違う違う、虫とかの生き物を数えるときはだいたいは一匹、二匹と数えていくんだよ〜」と教えるとなかなか賢く反応してくれて、すぐに数え直してくれましたが、今度は「イチビキ、ニヒキ、サンピキ、ヨンピキ、ゴピキ・・・」オジサン、思わず笑って声を出してしまいました。

しかし、子供にとっては当然の如く何故笑われるのかはわかりませんので、ここは促音便、撥音便に従った数詞の発音の変化などという面倒くさいルールは勿論教えることはなく、「オジチャンと一緒に数えよう!」と言って大きな声で「いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、ごひき、ろっぴき、ななひき、はっぴき、きゅうひき、じゅっぴき〜」と念のために二、三回数えたところ、すぐにその読み方のコツを子供の柔らかい脳が覚えたようで、アッという間に上手に「匹」が後ろにつく読み方を正し言えるようになりました。

他にも話していると大人の私が昔子供達が話していたいろいろな楽しい言い間違いを思い出させてくれるような言い回しで話してくれて、なんだか楽しくて仕方なかったですね。

昔、娘がものを数え始めた頃にも同じように「いちつ、にーつ、さんつ、よんつ、ごーつ・・・」と読んでいたこともありましたし、大人の会話をコピーして大人に話しかけてくるときに、似ている単語なんだけど、絶妙にズレている全く違う言葉を挟んできた時とかに、嫁さんと二人で爆笑したりすることもよくありました。

子供の言葉の発達っていうのは早くて柔軟性に富んでいて、本当に興味深いものです。
それに比べて大人の言葉の発達は枝葉を伸ばすという方向性ではレゴの組み直しのように進んではいきますが、子供の時の発達のように”ドラマチック”というのとは程遠いですね。

なんだか”発達”というものとは縁遠くなってしまったオジサンの寂しい真夏の夜です。

2016年7月8日金曜日

禁煙できる人できない人

外来や病棟でみていると、どうしても禁煙できない人にはある特徴があります。

勿論最初からこちらの禁煙のオススメを”無理”と言って聞く耳を持たない人は勿論話にもならないのですが、当方が禁煙の話を進めていく時に少しでも反応をしてくれる人は結構な確率で減煙にまではいってくれます。
では、一部の人達は禁煙に成功して残りの人達はなぜ成功しないかと言われてもそれはダイエットの成功不成功などと一緒で結局は嗜好品の遮断に対する意志の強さの差なんでしょうが。

そう言ってしまっては身も蓋もありませんが、私の外来で禁煙に成功した人達はほぼ例外なく、お話をしたその日のうちに禁煙に突入した人達でした。一番男らしかったのは私の診療用のデスクに胸から出したタバコとライターをそのままドンとおいて、「俺は出来るよ。もう吸わんからな。」とニッコリ笑って啖呵を切っていったおじいさん。
おじいさんですから、禁煙もある程度がんの予防という意味ではタイミング的には遅いのですが、それでもリスクを軽減するという意味では素晴らしい行為。

実は癌にもまして恐ろしいのは、前にも言ったように慢性閉塞性肺疾患なんですが、一度発症してしまうと残念ながら今の医学では時計の針を逆向きに出来ない恐ろしい疾患です。
意識はあるのに、次第に喉の奥に少しずつ少しずつ綿栓を詰めていくような苦しさが長く長く続いて、痰や咳に慢性的に苦しめられ、呼吸不全の恐怖とも戦わなければなりません。

しかも、他の人にはちょっとした風邪で済むようなものが、そういった基礎疾患を持っている人には肺炎になる得ることも多々あり、場合によってはそれが死に繋がることもあるのですから、たかが風邪と馬鹿にすることなど到底できません。

私の場合、決意表明をしてくださった患者さんにはそういったことをまとめたパンフレットを直に患者さんにお渡ししてお話した内容に嘘がないこと、その疾患の恐ろしさをさらに脳裏に焼き付けてもらうべく、写真入りの解説で決意表明の物理的後押しをさせてもらっております。

タバコはお金を払って自分の健康を害する行為です。近年、うなぎのぼりに上昇しているのは肺癌発生率。出来ることなら止めましょう。まだまだ間に合います。今日から如何でしょうか。

2016年7月7日木曜日

久しぶりに飲み過ぎ

今日は名駅そばにある牛たんの店に行きました。

この前、名古屋に戻ってきたことがわかった高校時代の同級生と再びの飲み会。
彼のテリトリーは名駅周辺なので、そのあたりはバッチリ任せられます。今回行ったところはちょっと面白くて、横丁形式の小さな店の集合体(実際、駅前横丁という呼び名の集合店舗群)になっていました。一杯飲み屋、焼肉屋、その他の小さな店が十軒くらい入っている感じでしょうか。

大昔の名駅西口とかの猥雑さには到底及ばないのでしょうが、ここはここで大変”良い感じ”を出していました。
店の名前は牛タンの”かわせ”と言うお店。とは言え、猥雑さや不潔感とは程遠いお店で、そういう意味での昭和感などとは一切無縁。今のお店は食品衛生法をよく守るという意味では実に清潔感があります。

つきだし、牛タン、魚、諸々を食べるうちに次第に気持ちよくなって来ました。また、話も弾んでまた次々と馬鹿話に花が咲きます。更に彼の仕事はエネルギー関係、私の仕事とは全く縁のない世界の話で、何を聞いても自分の知らないいろいろな話が溢れ出る。私の方も彼から質問されれば、判る範囲ですべて話すと言う感じで、お互いが知らない世界で暮らしているだけに、相補的?というか、知っていることの範囲が全く違っていて互いに興味が尽きません。

ビールを飲んで乾杯してから日本酒を6種類くらい飲んで更に二次会はワインを中心にゴンゴンと飲みました。ここでは友人と同じ系列に務める友人も合流し更にアクセル全開。終わる頃にはさすがに足もとが怪しくなる感じが出てきたため、気合を入れて電話と傘と財布を無くさないように、無くさないようにと呪文を唱えながらすっかり帰りの電車内では寝ておりました。w

次回は私の側のテリトリーである藤が丘界隈で飲み食いすることと相成りました。