2015年5月10日日曜日

スポーツと選手寿命

当直室でテレビをつけていたところ、相撲中継のダイジェストをやっていました。

昨今、日本にはモチベーションの高い強い外国人力士が大量にいてその上位を席巻していますが、私はそんな外国人達の活躍を大いに結構だと思ってます。国技?そんなもの誰も決めてませんしね。w
日本相撲協会なんて基本的にはタニマチごっつぁん体質のしょうもない利権組織ですから、そこに外からの血が入ってきて惨めなほどに引っ掻き回される組織を観るのはなかなか痛快なものがあります。

上から目線で偉そうな言葉を吐き散らす某Uとか某Yとか某Nとか。まずはお前の本業を何とかしろよ〜!なんていうのばっかりで、後は功成り名を遂げた今にも棺桶に両足を突っ込んでそうな爺様方のオンパレードですから改革なんて出来るわけ無いですし。
所詮、庶民が楽しんで来た日本の(アジアだけに限っても沢山似た様な競技がありますが!)庶民のスポーツ。神社への奉納などが有ったとしても、ギチギチに型に嵌めるような競技ではありませんしね。

なんか相撲のことばかり書いてしまいましたが、いろいろなスポーツを見て感じるのはコンペティターとして「平均して」若いころしか出来ない競技と、比較的年齢層が上がっても若手と伍してやっていけるような競技が厳然としてあるよな〜ということでしょう。

瞬発力と反射神経、そしてそれに繋がった筋力だけで勝負するような系統の競技、例えば短距離走なんかは下手をしなくてもほぼ二十台で終了なんていうのもあれば、テクニックを磨き上げ経験を積むことで更に円熟味がかかり選手寿命のピークが三十前後から始まるようなラグビーや野球と言うスポーツもありますよね。

しかし、やっぱり凄いのはこれに「頭脳」と「努力」と言う要素が加わった時でしょうか。
日本だったらイチローなんかがその典型ですし、アメリカだとランディ・ジョンソン、長持ちする長距離ランナー、そして数多くの名ゴルフ・プレイヤー達。他にもサッカーその他で飛び抜けて長生きしている選手たちは故障をしないようなトレーニングをきっちりみっちりやっている人が多いですよね。

こういった人達を見ているとその才能もさることながら、首の上についていた者の差が選手寿命を決めてしまっているんだなと感じてしまいます。その逆の典型と言ってはなんですが、清原なんて余りにも首の上のモノがお粗末すぎて、その本来持っていた類稀なる才能を少なくとも五年は縮めた上に、その後の私生活も悲惨。同じようなことはボクサー達にも当てはまり、プロモーターに騙されてダメトレーナーについて行った挙句にボロボロの一文無しになって消えていった偉大なチャンピオン達が如何に多かったことか・・・。

才能と努力をタダで支える打ち出の小槌は此の世には無さそうです。結局のところ、それを磨き保たせるのはやはり本人の強い意志だけのようです。

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