2014年12月16日火曜日

誰にも語られない物語が有る・続き

そのお婆さんが語った半生は壮絶なものでした。

おばあさんの話は唐突に始まりました。
「今年は本当についてませんでしたね〜。」
「広島の家が流されて無くなっちゃんたんですよ。でも、家が無くなったのは二軒目だけどね〜。」
広島、そして家が無くなった・・・と聞いた時に最初に頭に浮かんだのは広島のあの土砂災害のことでした。そのことを恐る恐る伺ってみると、やはり緑井という地区の家が流されたと言うお話で、間違いなく今年の災害でした。

愕然としましたが、お婆さんが続けて語るには「取り敢えず誰も亡くならなくて良かった」と言うポジティブな発言でした。しかし、その後に続けて出てきた話はこの家の前に無くした自分が瀬戸市に「親からお金をもらって建ててもらった」一軒目の家の事でした。
話によると、これは今回亡くなられた御主人が連帯保証人になったことで取られたとのことでした。

この御主人、これを機に競輪と競馬を覚えて一発逆転で金を稼ぐことに熱中し始めたとのことでしたが、勿論、馬で家建てた人なんて数えるほど・・・。
この御主人を支えるために、このお婆さんはカラオケバーを切り盛りして頑張っていたそうですが、この御主人は賭け事で負けるとタクシーで奥さんのバーに乗り付け「カネ払っとけ!」と言って家の中でふて寝し、勝つとペットである犬と猫の餌を沢山買ってきたそうです。

この犬と猫が20年前後で亡くなってから御主人の認知症が始まったそうで、奥さん曰く「世話をするということで保っていた生活のハリが亡くなっちゃったんでしょうね、、、。」とポツリ。
結局この認知症の御主人を介抱し続けたのですが、自分の小さな体ではそれを続けることが肉体的にも経済的にも出来ないと悟った時に(御本人曰く)「恥ずかしながら」生活保護を申請せざるを得なかったということでした。

このお婆さん、戦前は広島でご両親が軍需工場を手広く営んでいたため非常に裕福な生活をされていたとのことで、何も食べるものがない時代に広島の女学校帰りに友達を大勢家に連れて帰ってその全員に美味しい米で作ったおにぎりを沢山振舞っていたそうです。
このお婆さんは子宝に恵まれることもなく、こうやってご主人を亡くされました。御本人ここの寒い待合のソファに座って私にポツリと「主人が亡くなった実感も湧きませんが、何時か実感が湧く時もあるんでしょうかね。」と話されました。

病室で亡くなられた御主人の御遺体に最初に面会した時「この人も随分勝手気ままに生きてきましたよ・・・。」とお話をされた時に達観したように御主人を見つめて居られたこの御婦人の幸せな残りの人生を祈らずには居られませんでした。私は下手な相槌も打てず、ただただ圧倒されて身を堅くして話に聞き入るのみでした。

寒風吹き荒ぶ中、やってきたタクシーに乗り込みながら見送る私にペコリと頭を下げる小さくなってしまったお婆さんの姿を見ながら、「人生の流転」というものに想いを馳せざるを得ませんでした。

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