2014年1月31日金曜日

病院の経営と稼働率

私は病院の経営の事などは皆目わからないのでただじっと見ているだけですが、傍から見ていても病院経営というのはその規模の大小にかかわらず大変に難しそうです。

自分が務めている病院は系列にも多くの病院を持っているのですが、その規模は大小様々。ごく小さな内科系の病院もあれば巨大な精神科系の病院もありまして、それぞれの病院の形態と規模によって運営の方法も当然変わるでしょうから、それらを統括して運営することの大変さは多分想像を絶するような複雑さがあるんだろうなと思います。

雇用されている人間もひとつの病院で数百人居るところもあれば数十人規模で運営しているところもあり、経営のノウハウも科ごとに違うのだと思いますが、なかでも経営者側から見て大切だろうと思える数字は病棟の稼働率と外来の患者さんの数。実際に毎月回覧されてくる病院内の各病棟のベッド稼働率と各患者さんの平均滞在日数のデータが流れてきます。

こういう数字というのは単純に「そうだ」と信じることはなかなかいかないもので、裏も表もトリックや各科の事情が散りばめられた上の数字ですから、この表面に突き出た数字だけを見てその後の判断を行うと水面上の氷山のトップの部分だけを見てその下に隠れた氷山の巨大さを理解できないということになりますので、その解析には極めて慎重かつ繊細なステップを踏む必要があるはずです。

このような「病院経営」がされるなかで、私の方は単なる給与所得者ですから病院が破綻しない限り真摯に診療にあたっていれば済むのですが、数字や稼働率に一喜一憂しながら経営をする側の理事の方達とか一言「大変だな、、、」と思います。

超高齢化とそれに伴う国民医療費の増大という事実の板挟みの間でこれからさらに難しい舵取りを問われる病院経営者。見ているこちらが気の毒になるようなストレスがあるのでしょうね。

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2014年1月30日木曜日

マスゴミ何考えてんだか、、、

多分間違いなく今度の報道は加熱して際限なくなるだろうなと考えています。

何の報道かというと小保方(おぼかた)さんに対する報道。刺激による簡便な方法で細胞にストレスをかけることで作り上げたSTAP細胞で再生医学の世界の第一線に飛び出た30歳の女性ですから、それはそれはマスゴミの格好の餌食になるだろうなと。

その栄光はゴミが騒がなくともキッチリ彼女にはついて来るはずのものであって、今は研究の発表や実験に「絶対に」大忙しのはず。そっとしておいてやれよ!と言うのが私の感想なんですけどね、、、。ゴミはゴミと呼ばれるだけの理由を持っていますからまあ、この騒ぎは当分収まらないでしょう。お前らゴミは彼女の研究を「邪魔」しこそはすれ、一切プラスには働いていないということを理解させることは無理ですな。

とりあえず論文も全部は読んでいないし私の研究分野の話ではないので何の言いようもないのですが、いくつか話がわからないというか危惧しているのは、彼女とハーバード間の関係です。
ハーバードのラボの方は彼女が行ったという実験に関するクレジットを何も言わないのかなということと、報道ではSTAPを使ったサルの実験が既にハーバードで進んでいるとかいう話、、、更にそれ以上にわからないのが理研の特許に対するコメントなのですが、これだけの報道合戦が行われた後、彼女にクレジットや特許のことでハーバード側から何らかのクレームがつかないかなというのがとても心配です。

アメリカのラボというのはこういったこういったことには「異常に」色々と難癖をつけてくること度々ですので。

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2014年1月29日水曜日

オッサンも勉強、勉強、また勉強

錆びついた刀(私の場合はナイフ程度ですが、、、)をもう一度研ぎ直す日々を送っています。

病棟で回診、実技、投薬、診断、患者さんとの対話、看護師さん達との様々なやりとりをしながら同時に外来に出てはカメラと外来、その他諸々のことを上級のドクターから習得しては医局に戻って情報の整理と実技の反芻、反省点の復習。
家に帰れば家に帰ったで解っていないところのまとめ作成と疑問点の整理、自分の受け持ち患者の治療方針の中でおかしかったところはないか、矛盾しているところはないかを慎重に再検討しながら夜遅くまでゴソゴソしています。

こうやって自分のやっていることを書き上げていくとまさに二十年遅れの研修医生活ですな〜。

二十年の間基礎研究に身をおいて細胞相手に研究をし、論文書いたり激しい討論を繰り返してきたりした身にとってはやはり「別世界」という言葉がピッタリ来る世界です。臨床という世界に自分が戻ることになろうとは夢にも思わなかった(と言ったら嘘ですがw)のに、この歳で研修医生活をするのは何とも新鮮なものです。

自分が研修医をしていた時代とはいろいろな道具が、クスリが、知識が相当に変化、進化しており、当時は到底治るとは思われていなかった疾患が文字通り「劇的に」治るものになっていたり、やっぱり当時と変わらず全然治療成績に変化がなかったりといった具合でそれこそいろいろですが、私自身はそれらを全て受け止めたうえでの初心にかえっての日々です。

この20年の間にすでに各方面で一流、手練の臨床家になっている友人達に気軽に愚かな質問ができるのがこういった変わった立場にあるオジサン研修医のいいところです。しかも各科全て揃っているというのがまたまたイイですね。
20年前だったら同じレベルで悩むだけだったのでしょうが。

さあ、また勉強に戻ります。w

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2014年1月28日火曜日

アメリカにお菓子を送る

毎月一回お菓子とかを送ってやる!とアメリカを去るときに約束した私ですが、先日早速その一回目を行いました。

一般的にアメリカに荷物を送って「もらう」側だった私達ですが、これからは私自身がアメリカにいる家族のために「送る」側になったわけです。いつもは一般的に荷物を送るときには二種類の方法に限られています。一つはSAL便と言ってShip And Landと言って、船便で大陸に到着した後、陸上では車や列車で目的地まで配送されるもので優に一ヶ月かかった上に箱自体がボロボロに成ったりしている事が多くて、中身自体の一部がなくなっていたりしますし、ある程度の長期保存が効くものでなければ受け手側がいつも最も送って欲しい「日本の美味しい食べ物」が送れません。

というわけであと一つの現実的な方法はEMSとなります。これだと上手く航空機のスケジュールが噛み合えば、日本の田舎から月曜日に送っても木曜日にアメリカの東海岸の街に届いたりするレベルですから、これを使うのが最も「現実的な解」となります。

今は本当に便利な時代で、宅急便でも郵便局でもネットで依頼をすれば自分及び頻回に送る相手側の名前を事前にプリントしてくれた状態で10枚を送ってくれます。今回はとりあえずこのシステムを使いましたが、まだ送られてきてはいないのでまずはスマホで予約して、我が家へ〇〇時に来てくれるように頼んでおいたところ、実際にきちんと時間通りに来てもらえました。同時に何も書き込んでいない送り用紙を持ってきてもらいそれを目の前で埋めて直ぐに終了。
全てスムースに終了し笑顔で持って行ってもらいました。

結局は重さで(100グラム単位だったかな???)値段が決まっていて、目の前でスケールを使ってキッチリ測ってくれて、その結果を手持ちの小型のマシンで値段を弾き出しての即決というものでした。これはほんとうに便利。
ただし、こういったものはやはり高くて今回は10キロちょっとで15,000円!中身は精々のところその8割位の値段ですから、まあ実際の購買価格はアメリカでもし同じものが二倍以内で買えればそのほうが安い事にはなるんですが、まあこういったことは「受け取る側の気持ち」が全てですから、こんなのは値段では無いですな。

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2014年1月27日月曜日

アメリカへの海外送金その後

一昨日書き記したアメリカの家へのお金の送金の件ですが、結構ぐったりした挙句の解決でした。

結局、結果的には自分の身一つで銀行に乗り込んでいろいろと手続きを踏むのがもっとも早い解決策であることが判明したというのが事の顛末。
最も近くのUFJ東京三菱までバスに乗って10分。駅のそばのビルに入っているUFJの支店に入り外国送金のことを説明すると、驚いたことに扉の付いた独立した小さなブースに案内されました。そこに据え付けてあったのはカメラとモニターの組み合わさったATMの改造機のようなマシンでした。モニターの指示に従って次々に処理を進めていくと突然女性のオペレーターがモニターの右隅に現れて受話器をとって話しなさいとの御教示。

カチャリと左端の受話器を持ち上げて話し始めると、今回の件でお金を送るのは何故?そしてこのお金は一体どこがリソースになっているお金なの?云々と案の定のマネーロンダリング絡みの質問、、、。解っちゃいるけどこっちは診療の合間を縫って昼休みに抜け出している身、45分後までには病院まで戻って自分を待つ患者さんに2つの処置をする仕事が待っているので、ちょっとイライラ。

今回送るお金は給料として振り込まれたものだけど、それはアメリカにいる間に凍結されて使えなくなってしまった口座へ間違って振り込まれたもので、当然のごとく口座は存在しないため受付を拒否し、給与は病院から現金を直接受け取ったもので、、、などとしたくもないくどい説明をすると、今度はその給与明細などをここにお持ちでしょうか?などとスットボケたことを抜かすので「イマココニハナイデス」と怒りを押し殺して返答すると、モニター上の女性がしばらくお待ちくださいと言って待たせること約五分、多分上司と相談したんでしょう。「今回は特別に」等と、上から目線で許可をくださいましたよ。w

悪いけど、この数倍の金額が必要で義母が私の日本の口座からアメリカにお金を代理人として送ってくれた時にもこんなことは一切ありませんでした。(# ゚Д゚)

まあ、イイんですけどね、、、。(この方法が3500円ともっとも手数料の安い方法だったので!)

全てを終えた後、帰る間際に海外銀行送金の口座指定の書類に必要事項を埋めて、ネット上で全ての処理ができるようにする為の手続きを完了。物理的メールの郵送と返送の時間を省けたことで二週間ほど時計を早く巻けたと思います。これで少なくとも来月の送金からは銀行に行ってヒーヒー言わなくてもスムースに家族に送金が出来そうです。

一昨日のコメント欄に頂いたsuggestionのように、western unionも確かに方法論的にはあるのですが、一階の送金額の天井が比較的低めに設定されていること、またシティバンクの方は一カ国で取得したカードを持って別の国へそのカードで行けば現地貨幣で引き出せるというメリットが有るのですが、私の場合はそれにも当てはまらないという点、また名古屋とはいえ市内中心部でもない我が家の近くにはCITIがないことが弱点でござりました。

ああ、やっとこれで悪夢から開放される。と思ったら、今度はアメリカ側の税務処理をしないといけないのでした。嗚呼。

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2014年1月26日日曜日

いろいろと不適応w

日本に帰ってきてやっぱりいろいろと「やっぱアカンな」と強い違和感を覚えることがありますね。

三週間ほど経っても全然慣れないのは、通りすがりの人同士の人の「視線」です。一体それ何のこと?と思われる方が居るかもしれませんが、、、。
実は視線に違和感があるというのは実は「見られる」ことではなくて「見られないこと」に対する違和感です、「おいお前自意識過剰!w」と言われそうですので、ここは少し詳しく書いておかないといけないかなと思うんですが、アメリカで暮らし始めてすぐに気づいたことは「知らない者同士がすれ違うとき」に日本よりも遥かに多くの場面でお互いが視線を交わしたり軽い挨拶の声を出し合って会釈をするのです。

例えば"Hey!"とか"What's up?"とか”Hi”とか言う声掛けなんかはごく普通ですし、エレベーターで乗りあわせてもお互いに時候の挨拶とか仕事で疲れた後に帰るときに"Almost Friday!"等と木曜日に軽口を言ったりするのです。
では翻ってこの名古屋の街でほぼ毎日歩きまわる生活をしている歩行者視線を持つ私から見ると何故かみんな「視線を合わせない」ということに神経を使っているような気がするんですよね、、、。皆無言でそそくさというのが基本。
なんでお互いちょっとでも会釈して気持ち良い日々を送ろうとせんのかな〜等と考えたりもするんですが、やっぱリッチモンドというSouthernの堂々たる田舎の街に住んでたからなんでしょうかね?

あと、もうひとつ非常に気になるのはマスクを被っている人の異様な多さ。これは本当に異様の一言に尽きます。
これって一体何なんでしょうか?対放射能?感染予防?それともなんか異常な出っ歯でそれを隠しているとかなんでしょうか? アメリカだったらなんかの免疫力低下で特別外出中かオペ室から出てきたばかりの人ですか?と聞かれそうです。

ワタシ的にはマスクして視線を外しながらそそくさと通りすぎる老若男女のほうがよっぽど犯罪者か異常者のように思えるんですが、私のものの見方なんかオカシイですかね、、、。
これってやっぱり一種の不適応なのかな〜等と一人ぼんやり考えたりもしてしまいます。

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2014年1月25日土曜日

外国為替送金でのガックリの事実

インターネットバンキングの時代になって、まさかまたこんな目に遭うとは、、、。

「日本で働いて海外の家族に送金する」国内の「とあるメガバンク」に普通預金口座と外貨預金口座を作って、アメリカの家族が日常の決済に使っている口座に向けてお金を送金しようとしたところ、、、。
この銀行のネットでは基本的に邦貨と外貨を「単純に」預ける事が基本の口座であって、外国への送金や振替は機能としてはデフォルトではないということが電話相談で判明いたしました。w

おお、この為だけに作ったメガバンクのネット口座、、、役に立ちません。それではどうすれば海外送金のセットアップをネット上で出来るように致せるのでしょうかということで更に電話で繋がった相談窓口の女性に更なる質問をしたところ、何ともこのネットの時代に「冗談ですよね?」というような事実が判明。

それは、「特定の海外口座に当行からお支払いを出来るようにして頂くためには郵便メールの送付による書類の送り出しと、そのメールの返送、そして当行でのセットアップの手順を経ねばなりません云々」とのご説明でした。w
やっぱ「海外送金」というだけでマネー・ロンダリングの対象としてこんなことをせないかんのかね?としか思えませんでしたが、やっぱそれよね、、、といのが自分の内部的な結論。

このネットの時代に郵送の云々とか冗談でしょ?商売する気あるんかい!と一人吠えたところで、大銀行には守らねばならぬ「お役所とのお約束」がありますし、海外送金システムを利用して税金逃れと犯罪マネーの洗浄を行う連中も少なからず居るはずですから、それらのクズがこういったシステムをリジッドなままで時代に取り残されたようなものにしているわけです。

まあ、仕方ないので、多分今月と来月の送金分は多分銀行に直接行っての海外送金をするしかありませんな。orz

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2014年1月24日金曜日

こんなサイトが有るとは露ぞ知りませんでした、、、

たまたま、ほんとうに偶然だったのですが多分日本では当たり前のように読まれているのであろうウェブサイトに今日はじめて遭遇しました。

単に私自身がそのサイトを知らなかっただけなので、多くの方には「何を今更?冗談でしょ!」と言われるのが落ちなのですが、とりあえず遭遇したサイトはSTORYS.JPという多くの方々の個人的体験談を物語形式に再構成して投稿されているサイトでした。

物語の複数形と言う意味ではstoriesじゃないのかなどという野暮な話はここでは止めにして、そのページの飛んだ最初のきっかけは「学年でビリだったギャルが、1年で偏差値を40あげて日本でトップの私立大学、慶應大学に現役で合格した話」という本がたまたまアマゾンで買い物をしている時に表示されて「なんじゃこりゃ?」と思って検索をかけたら実はここのHPにある多くの物語のうちの一つだったという話。

もっともこの話自体は私自身は未だに一行も全く読んで無いんですけどね。w
何でかというと、この手の話には興味が無いんで、、、。慶応という存在が私には全く遠いアフリカの国のような存在で、日本の私学のこと正直なにも知らない上に、成績悪い奴が頑張って成績上げてどこかの大学に合格っていうのは試験向けの頭さえ悪くないことと、教える側の能力が高いという2つの条件さえ揃えば、掃いて捨てるほどある話です。実際身の回りで通常はメチャ怠けていても、試験はじめたらツインターボが回っているかのような恐るべき速度で試験をクリアしていく連中というのを嫌というほど見てきましたし。

特に医学部なんかには数%の割合で明らかにグラフィック・メモリの持ち主というのがいて、目の前で教科書を文字通り「ペラペラ」とめくっていくだけで、どこに何が書いてあるかというのを短期間であろうと保持し切る人間が居るのを目の前で見てきましたので、記憶力のいい子が学科を絞ってそういったことを一年やれば、良い教師の指導のもとある程度地頭の良い子が一年間努力して低偏差値を高偏差値に持ちあげるのはどちらかと言うと「当たり前」と考えます。
(もともと本来はポテンシャルが有った子が何らかの理由で下に行ってただけというなら話は一層簡単でして、、、。)
慶応の医学部がとりわけ高偏差値で入るのが難しいのはこんな私でも知っていますが、慶応にも間違いなく学部によってピンキリあるのは調べるまでもないことでしょうが、この女の子どこの学部に通ったんだろう???

まあ、どうでも良いかw

とりあえず、このサイト自体は結構興味深い話も載っているようなので、これから暇つぶしに読んでみたいと思ってブックマークしてみました。以前ある人から「これ絶対いいから」といって強引に貸しつけられたラノベを読んだ時のような悲劇は起きないとは思いますが、、、。
あの時は無茶苦茶本を投げ捨てたい衝動と時間の「無駄感」を抑えこみつつ20ページほど読んでその薄っぺらな登場人物と軽薄な構成に耐えられず「だめじゃ〜〜〜〜〜」と言って中断してしまいました。w

まあ、いろいろと面白そうなサイトというのは世の中まだまだ自分の目に引っかからないだけで沢山あるものなんですね。

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2014年1月23日木曜日

素晴らしい人生の終わり方

今日は辛い出来事がありました。

私が務め始めた病院で30年以上にわたって働かれておられたドクターが、88歳で亡くなられました。
医者ですので、御自分でその診断結果も全て理解されておられ、予後や治療法についても完全に納得された状態で生活をされておられたのですが、一週間ほど前から食欲が低下して来たために、自分の働かれておられた当院でそのまま保存的な治療を行っていたのですが、奥様とともに家に戻って「シャワーを浴びたい」ということで戻ろうとされたところで急変し、再びシャワーを浴びることなく院内へ戻って来られたところで死亡確認がなされたのでした。

私がショックを受けたのは、帰国してすぐのことでしたので、私などとはお付き合いがほとんどなかったにもかかわらず、親しくお話して接してくださったことでした。
御年89歳にもならんとする高齢にもかかわらず、記憶は鮮明、言語も論理的な推理力も全て非常にクリアで、旧制高校の頃のお話や、戦争当時のこと、そして現在の世界情勢に関しても的確な意見をお持ちで、そのお話を伺いながら「当時のエリート」達の質の高さを直接目の前に見せつけられるような衝撃を受けました。

私が診察と挨拶を兼ねて先生の病室の中に入っていった時、「まあ、先生座りなさいよ」という言葉をかけて下さりましたので、お言葉に甘えてお話を伺うこと約30分、軽い感動を覚えて部屋を辞したところで上品な御高齢の奥様にお会いしてそのお話をしたところ「主人は旧制高校に行っていたことを誇りにしていましてね、、、。来月の89歳の誕生日を迎えたいなんて言っているんですが、、、。」と話されていました。

シャワーを浴びに帰ろうとされたのはその直後のことで、会ってお話をして一時間も経っていないのに、次に先生のお姿を見た時には既に呼吸停止状態。
治療方針としてはこれ以上何もせずお見送りをするということでしたが、御身体をベッドからストレッチャーへ移した時に感じたその温もりは、今にも目を開けて「おいおい、何しとる?」と語りかけてくれそうな気がして、ちょっと胸が詰まりました。ご遺体を運ぶ道すがら、全病棟から先生のお世話になった看護師さん達が集まり御冥福を祈っておられました。

亡くなられる一週間前まで病をおして仕事をされ、頭脳明晰のままで誰にも迷惑をかけず亡くなられた先生のお姿をお見送りしながら、自分の人生が、こんなに立派で誇り高き最後を迎えられるだろうかと考えた時、とてもそんな訳にはいかんだろうとふと考えたのでした。

尊敬すべき理想的な人生の締めくくりをされた先生に合掌。

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2014年1月22日水曜日

ネットが無いと読書と勉強に集中

家には25日までネット接続がやって来ません。

この状態だと家ですることは食事と洗濯、風呂に入って読書と勉強をした後はそのまま寝るだけという状況で、なかなかネットが無いなら無いなりに有意義な生活を送れます。
やっぱりネットが無いと仕事を進めたりする上でいろいろと支障はあるのですが、まあ、それはそれでいいかなという感じですね。ネットに繋がっていないと何かが足りないという感覚は一種のネット依存症なんでしょうね。(精神科の先生に診断されたらいろんなものの依存症と言われそうで怖くもあるのですが、、、w)

勉強の方はいろいろな教科書を読んではその大事なポイントをノートに書きだすような感じで進めるというようなオーソドックスなものですが、読書の方はブックオフやアマゾンが使えるので、安くで買った大量の本を次から次に読むという感じです。
このブックオフとアマゾンの存在は本当に日本中から本屋を消してしまっているのではないかと感じます。自分の住んでいるエリアの周辺のどこを見渡しても、「本当に本屋が無い!」という事態に驚きます。
昔は近所にすぐ本屋があったり、学校帰りに本屋があったりというのが普通だったのですが、今はどこにもありません、、、。車で随分走ったところに一軒、またそこから随分離れたところに一軒というくらいしか無くて私にはとても寂しい状況です。

ネットで選んだり書評で選んだりするのではない本屋の中でウロウロしながら自分のターゲットを探すという愉しみが文化として消えてしまったら一体どうなんるんでしょうか、、、。
アメリカではまだバーンズ&ノーブルや都会の小さな専門書店などが力強く生き残っていますが、そういったものの存在は街の文化的バックボーンじゃないかと私自身は思っているのですが、やがては消えていって、そういったものを知らない世代が誕生する世の中になるんでしょうかね、、、?

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2014年1月21日火曜日

生保の多面性

生保叩きのニュースは多いのですが、叩いているニュースソースの主体がどこから来ているのかという事に関する考察は慎重でなければならないと私は常々考えています。

特に、不景気の時代と高齢化時代が到来することで食にあぶれたある一定年令以上の層、または一定レベル以下の教育しか受けられなかった人達、そして病を得て仕事を辞さざるを得なかった人たちを中心に「失業」という形での皺寄せが来るということは現実問題として避けられないことですから、その人達がどう頑張ろうと生活を得る糧がなく生きていく術がないときには、少なくとも文明国と呼ばれる国では、生活保護もしくはそれに準じたシステムがその人達のもとで発動し、その人達の最低限の生活を保証すべくその歯車が回り始めるのがあるべき姿だと考えています。

実際、病院勤めをし始めてよく見えてきた現実の世界は、生活保護を受けている人々の個人としての生きていく上での苦闘の歴史です。それぞれの患者さんからお話を伺ったり、カルテに貼付してある生活保護課からの連絡表、そして他の病院からの看護記録などを見ていくと実に多くの方々が実は一生懸命自分の能力なりに仕事をしてきて、病を得て入院して居るという状況。
若い頃は仕事をいくつも掛け持ちして働いたり、全国を転々としてビルの建築現場や大工として仕事をし続けて、最後に怪我や病気、そして高齢化して入院。

結婚もせず、家族もおらずという方も比較的多くおられ、仕事をするにも高齢で断られたりすることで結局は高架や橋の下に住むという日々を送らざるを得なかった人を誰が非難することが出来るのか、私にはちょっと理解できません。
人間、全ての人間がハイレベルの企業や官公庁に入って福利厚生もバッチシの生活を送り家族も子供も皆健康と言う状況を過ごせるわけではありません。当然の如く、社会の中では努力、能力や運その他の多くの有象無象の要素によって多くの経済的な格差を持った多段階の層を形成しているわけで、とてもではないけれども、そのままでは人間らしい生活を出来ない一群の人達が「絶対に」出てくるのが社会の当然の枠組みだと思います。

原始時代ならともかく、21世紀の文明国では出来るだけ最大多数の人達が「悲惨な目」にあわないように、持てるものが持たざるものにそのお金を使う形で皆が支えあうというのがあるべき社会。無論、努力しない人間、ダメ人間も助けられる中には沢山いるのでしょうが、その部分を拡大視し過ぎると保護の本当に必要な人を含めての全体バッシングがたちどころに湧き上がり、冷静な議論ができないところで不毛な叩き合いが始まるような気がします。

五体満足なのに働こうとしない「ダメ人間」と世間一般で言われるような人達も含めて、何故そういった人達も基本的には排除せずにセーフティーネットと言うのは準備されないといけないのかということを真剣に考えるこの頃。
我々の住む日本は世界で最も成功した社会主義国家等と揶揄されることもありますが、少子高齢化社会を迎えても、医療費削減が入っても、これほどまでに国家や自治体が個人の万一の事態に対する面倒を見てくれる国は他にはないんじゃないかなと根拠なく思っているんですがどんなもんなんでしょう。

働ける人が働いて、働けない人間を助けるというのは無宗教を自認する私にとっても崇高なイベントだと思うんですが。
マスゴミが喧伝する不心得者達が「確かに」居るにしても、「おにぎり食べたい」といって餓死するような人をこの日本で出さないようにするシステムに私は自分のお金を使いたいと思います。受給者の中には不心得者がいて、その人達が使うお金がたとえ私が払う税金の中から一部出されているのであっても、、、。

アメリカにいた時その発想の根源を理解できたのは、生活保護のシステムというのは個人というのが家族とも切り離された、独立した存在としての「尊厳ある一人」として考慮されていて、家族が億万長者だろうが、その人達から縁を切られているか否かにかかわらず、その人自身が援助を申請する資格を満たしていれば助けてもらえる、というものでした。

生保を受給している人達を税金泥棒呼ばわりするのは簡単ですが、個々の案件をよくよく吟味していくと多くの場合はマスゴミが取り上げるような事例ではないことが判ると私は考えています。
生保の受給資格の検討の更なる法的要件の考察を続けるのは当然のことですが、助けるべき人達を助けることができなくなるような形でのシステムの変更は日本、ひいては日本人にとって将来的に荒んだ社会を出現させるような気がします。
日本人の高齢化もある時期を超えたら安定した年齢構成比率を持った国になると思いますし、そのような時期まで、日本がこの生活保護のシステムを持っていても国が倒れるようなことはないと私は考えています。

とは言え、削減の波は押し寄せるんでしょうね。。。

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2014年1月20日月曜日

日本に帰ったからといって、、、

一つだけ抱いていた淡い期待。

それは日本に帰ったらヘルシーで低カロリーの食事がメインになってきっと素敵な速度で痩せることが出来るのではないか?というものでした。しかし、今のところその期待は淡い幻想を超えるものではないことが見事に証明されつつある状態です。w

まず到着して先輩のドクターと美味しいご飯を食べに数回行った時点でストライクワン。次にお昼は早飯早糞芸のうち、と言う感じでストライクツー(仕事が忙しい人間同士が集まるとどうしても無言でサクサク食べがちな上に、何時も頭を揃えて食べる自分を入れた三人のうち私よりも早く食べる二人の先生にあわせて食べる感じで早飯状態です)。そして家に帰って食べるのは今のところそのほとんどはパン食+αなのですが、そのアルファが時々、そして特に休日は膨らみがちになる事が多くストライクスリーです。

中年になってただでさえ代謝の速度が低下し、筋肉なんかがつきにくくなっているのが自覚できるレベルだし、お腹も明らかに出てきているのにこの「食べ物の美味しい日本」に住んでいると、どうしても食べる量に関しては「期待を超えて」食べてしまいがちになっています。

何とかしなければならないのですが、それには強い意志と頭のなかでカロリー計算がある程度出来るようでなくては厳しいですし、何よりも「食習慣」がメタボタイプになっているのが行けないのは自分でもよく解っております。orz

アメリカでも嫁さんに始終「お父さん、お菓子食べない!って宣言したよね?」と言ってはからかわれているような日々でしたのでそういったことから習慣を変えなければなりません。
現時点ではアメリカに送ってあげるお菓子を月イチでスーパーで選びながらもそれを自らは食べないという地獄のような訓練を経てお菓子に対する欲望を絶つように頑張っているところです。w

アメリカに帰って家族に会った時点で「デブ」と呼ばれぬよう節制に努めたいと自らを叱咤しております。

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2014年1月19日日曜日

床で直食いの生活

引っ越してきて一週間以上経過しました。

新しい生活を始めると言っても、国内での引っ越しではなく地球の裏側からの単身赴任となるとその引越の手続きや不便さは通常のものとは大いに異なります。実際のところ大学新入生の生活にかなり近いものがあるような気がします。

実家のある田舎から別の場所へやってきて家具も何もない状態、かつその移動した土地にたいした土地勘もあるわけでもなく周りの人は皆知らない人ばかり。家からはちょっとした家具や道具は自分の移動とともに持ってきたけれどもそれほど大それた家具を運び込むわけでもなし、、、。
というのが多くの新大学生の毎年の引っ越しだと思うのですが、私の場合も実際は家具も一切なく、服もアメリカから持ってきた二、三日分のローテーション用のシャツなどがあるだけということで、殆どマッサラの状態でした。

せっかく十日ほど前に(日本到着後、翌日)ニトリに行ってテーブルとベッドまで注文したのにその配送はなんと本日まで待たねばならぬという状況でしたので、床の上にダンボールを置いて簡易テーブルにしてその側に胡座をかいて食事をするという何とも情けない状況での食事生活。これが畳の上ならまだ全然ありなんですが、床の上だとあんまり人間の尊厳を感じないレベルの侘しいものでした。(その前に箱さえ無かった頃は床の上で直食いでした!w)

やってきたテーブルと椅子、ベッドは配送センターの人が組み立ててくれたおかげで私はそれほどお手伝いをせずとも住みました。ニトリの配送センターの方が二人がかりでヒーヒーやってましたので、自分でマンション四階への持ち上げまでやっていたら体力的に死んでいたかもしれません。

とりあえず、今日からテーブルの上でご飯を食べられるようにました。少しは家の中もこれで進化して猿から直立猿人くらいのレベルにはなったかな?
こうやって家具が届いて改めて感じるのは日本の家具が椅子も机もその背が低い事です。これはラボの実験用ベンチでも同じでして、昔一緒に働いていた背の高いオランダ人の研究者も日本の家具屋ベンチの腰の低さには驚いていました。
まあ、極端に平均的な背の高さが違う国から来たヒトにとっては特に違和感は強かったと思いますが、今改めてこうやって配送された家具をみるとアメリカのシステムにずいぶんと慣れてしまっていたという事実を感じるのでした。

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2014年1月18日土曜日

日本ではダメとなるアメリカ由来の癖

日本に帰っても嫁さんたちが帰ってくるまで多分車は買わないつもりの日常を送っています。

名古屋だと、よっぽど郊外に住まない限りは地下鉄も日常生活圏にあるところがほとんどですし、バスも市と名鉄と二種類が走っています。ところが、このバスというのが曲者で、私の住んでいるエリアは殆ど名古屋市の辺縁部のちょっと外側ということもあり、名古屋市の中心街に向かう文には二種類のバストも使えて非常に便利なのですが、名古屋から離れてその口蓋側にある大型のショッピングセンター等に行こうとすると一時間に一本という感じのバス運行しかしていないため、非常に利便性が悪いのでした。

また残念ながら、名古屋の中心地に向かわない限りは地下鉄の駅も歩いて行くには少し遠いところにあるため、勢い移動の手段は「歩行」ということになります。市役所も、家具屋も、電気屋も、本屋も、携帯電話屋も、、、歩いて対応するとなるといずれも30分から一時間の歩行となります。

こちらに来て歩け歩け運動を始めてから理解できたのですが、アメリカに住んでいた頃が如何に車だけでの移動が多かったかというのを痛感する日々です。まずは歩き終わった時に家に帰り、風呂に入るときに気づいたのは足の皮膚とジーンズが擦れてマーキングがされていたことに驚きました。
更に往復で二時間以上歩いた日には下腿部に弱い浮腫が出ることにも気づいています。何時も少し巻き爪気味の右側の脚なのですが、長い間歩き続けると、普段は気にすることもないこの巻き爪気味の部分が少し痛くなることにも気づきます。
やっぱり普段の鍛錬をするチャンスが少なかった分、こういった長時間歩行による脚への負荷は、自分の身体能力がどれほどのものなのかを白日の下に晒してくれますね、、、。

これから少なくとも数年間は「歩く生活」を主体にしていこうと思っていますが、どこまでこの決意が持続するものやら、意志の弱い私の自分へのチャレンジの一つになりました。いい歳こいたオッサンが、バックパックを担いでテクテク歩いてるのはそんなに格好いいものではありませんが、これも一つの健康法ということで続けなければなりますまい。

ところで、こちらに来て強烈に違和感が強いのは横断歩道での自分の行動と他の人の行動のミスマッチ。
赤信号では歩行者も横断禁止という日本のルールはわかってはいるものの、アメリカにいた当時は周りの人に倣ってまずもって車の来ないことが確かな時には横断歩道はガン無視で渡っていましたので、その癖がどうしても抜けません。
悪いなーとはわかっていても、周りで絶対に車が来ていない見通しの良い所でも自転車に乗っている人までもがジーっと信号が青に変わるのを待っているのをみると、「(´ε`;)ウーン…」という感じです。

しかし、日本の道路事情にマッチした動きを体に再習得させないとまずい事になりそうな気もしますし、警察にも止められそうな気もしますのでそろそろこっちの感覚もリハビリをいれていかねばなりません。

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2014年1月17日金曜日

DoCoMoとSoftbank

最初日本に帰国してもっとも頭を悩ませたのは携帯の会社をどこにするかということ。

医者をしているとどうしても院内のPHS網だけでは医者をキャッチしきれない状況というが発生してくることが度々あります。実際には患者さんの重症度や受け持ち病棟のタイプによってもその緊急度というのは様々で、ERなんかで仕事していたらまさしく家に帰る間もないなんていうのは日本では全くの普通(それ故30代で実務的にはピークアウトする緊急医療の医者も沢山居ますが、、、)です。

私の場合そこまではないにしても、窒息、転倒による頭部強打や骨折、痙攣発作、原因不明の意識消失、せん妄、心停止など、ちょっと考えただけでも多くの異なった状況に対応しなければならない事は明らかで、21世紀の今、pager(ポケベル)は消えてその代わりが携帯電話という時代。
各主要な病棟には私の携帯の連絡番号が配られていて、自分の担当患者のことで「すわ鎌倉」と言う時には風呂から飛び出してでも対応しないといけないのが日本の医師ですから、病院離れてしまえば赤の他人となってしまうアメリカの医師とは全く違います。(それだけ自己犠牲のレベルが高いのが日本の医師の標準的勤務システムです。)

さて、今回その携帯電話選びで迷ったのは繋がり具合とその速度。
心情的にはソフトバンクは避けたいし、親方日の丸嫌いの私にしてみればNTTもこれまた心情的に避けたい、、、となると選択肢はauのはずなのですが、近所の総合電器店に行って残念だったのはauもDoCoMoも私のいた所には販売店員は現れてくれず、唯一リクエストに応えて出てきたのは若いSBのお兄ちゃんだけでした。

そうなると話は簡単で、こういう時には「意気に応えてやる」というのが私の心情。商売人のくせに顧客のところに来ない奴にチャンスを分け与えるほどヌルい対応はいたしませぬ。w

まあ、口コミ版ではそれほどパケづまりも無さそうだということで早速購入。セットアップに時間がかかりまくりましたが、とりあえず無事に終了しiPhoe5sを手に入れました。これで嫁さんとも連絡が取れますし、とりあえず家のネットが繋がるまではテザリングでネットも使えるのでまずは目出度しです。

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2014年1月16日木曜日

日本に帰国してからの食生活

リッチモンドに居る嫁さんに自分の今の食生活を知らせる目的での本日の日記。

日本に戻って何度か外食した話は電話で嫁さんに伝えました。実際に沖縄料理や台湾料理なども食べたのですが、基本は家での質素な食事です。お昼は病院の定食を食券を使って買って食べるシステムを使っています。
朝は基本的に日本の超絶に美味しい(アメリカのに比べて!)Pascoの食パンにバターを塗り、野菜ジュースとヤクルト、もしくはヨーグルト系の飲み物です。
では夜はどうかというと、これもあまり代わり映えせず、同じ食パンにバターの組み合わせ、そして今度はプレーンの脂肪分ゼロのヨーグルトの組み合わせだったり、実家の母親が送ってくれた(早く食べてしまわなければならない)生ラーメンをゆでて食べたりという感じです。ああ、早くも嫁さんの料理シック。w

こうやって書くと、なんだか手間隙かけてないアメリカ人の食卓のようですが、基本は大学時代の「貧しいけれどなんとか栄養のバランスをとりたいな〜」的な食事です。今食事を作ることに気合を入れる事ができない言い訳理由としては、まだニトリで来日翌日にオーダーしたはずのテーブルと椅子が家に来てなくて、20日まで待たなければいけないことです。

床の上に段ボール箱をおいて、(暖房が入っているとはいえ)比較的冷たい床の上に胡座をかいてシンプルな夕食や朝食を食べている中年のオッサンの姿というのは全く絵になりません。というか、寂しいものですね〜。
早くテーブルとベッドが来ないかと待ち焦がれてはいたのですが、最近ではもうまちくたびれてしまって、そういえばそんなものも注文しとったなーという感じですか、、、。

家の中が全て畳というような家ならその上での生活も問題ないのですが、ビニールタイプの板間での生活はそんな風雅を許してくれるだけの素地は全く持ちあわせておりません。w 畳間は私が今のところ布団を敷いて寝ている一部屋だけですからね。

早く来い来いテーブル君!&ネット接続!!

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2014年1月15日水曜日

新患受け持ち

今日から新患受け持ち。

リハビリもいつまでも甘いことは言っておられないので、重症例でない患者が本日から二名の割り当てとなりました。
お二人とも他院でのオペや治療後の患者さんで、フォローアップとリハビリ依頼の方々です。
ナースステーションでの処方箋などの位置、当院における処方、治療指示プロセス、各種投薬のジェネリックの名前などまだまだ門前の小僧レベルですが、医局に戻っては注意点の書き出しとプロセスの最適化に関する留意事項を抽出して自分なりのメモを作成する日々です。

その間にも、各種手技に呼ばれて病棟を駆けまわる感じで、読影、心電図、外来診察、急患対応と20年ほど前の研修医時代を鮮明に思い出す状況です。
こうやって色々やっていると、研修医時代とは違って、同じことをやっていてもかなり効率的な方法で物事をまとめるようになっていることがよくわかります。やっぱりこういう点に関しては大学で色々と仕事をしてきて物事を早くまとめる方法とかを身につけてきたことが役に立っているのかな?

現時点では第一日目ということで2名ですが、今後は継続的に増えていく予定だということで、このまま慣れていけば最終的には40名を超えるレベル(要するに病棟1つ分まるまる)の患者さんを受け持つことになる可能性があります。
今の時点では「マジ!」と思える数ですが、最終的には多くの患者さんが容態の安定した高齢者であることを考えるとそれも慣れればいけるであろうと、楽観視しています。

仕事が終わったあと、夜になって一人で居ると10時半位には既に眠くなってくるという状態でして、やっぱり精神的に緊張感を保っている上に階段の昇り降りで走り回っているのもあるんでしょうかね。
しばらくはこんな調子が続くものと思われます。

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2014年1月14日火曜日

沖縄料理

今日は医局の先生たちと連れ立って三人で沖縄料理を食べに近場まで歩いて行きました。

忘れていた医療行為を体と頭に思い出させながらの仕事ですので、まだまだ慣れるなどという状況には程遠く疲れてしまいます。一緒に働いておられる先生が懇切丁寧に教えてくださるので、それを目に焼き付けながらの仕事になります。
今のところはまだまだどこに何がるのかというのを習熟している段階で、婦長さんや看護婦さんからも手取り足取りの指導を受けています。

さて、そんな中、診療の終了後に連れ立って訪れた沖縄料理の店「南風」。今まで生きてきて沖縄の食べ物といえばちんすこう以外に自分では食べたことはなかったと思っているのですが、いかなるものが出されるのかと思って行ったら、実は沖縄料理のゴーヤチャンプルーや琉球そばだけではなく、ありとあらゆる九州関連の食い物も置かれていて、馬刺し、豚の角煮、海ぶどうを含む珍味シリーズなど日本に帰国したことを実感させる食べ物がドンドコドンドコ三人の胃袋に収まっていきました。

平日にもかかわらず、ブースやテーブルのあちこちにお客さんが座っていて、この店って結構人気があるのかなと思いました。ひと品ずつの料理はそれなりの値段で、三人が一時間ほど食べた時点で支払いは1万6千円。野郎三人の胃袋がパンパンになったのですからそれくらいはかかるのかもしれません。それを店の出掛けに先輩が「帰国祝い」ということで一人払いしてくださいました。只管有り難し。

明日からの新患受け持ちに備えて、先輩に迷惑をかけぬようにとぐっと気を引き締める自分でした。

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2014年1月13日月曜日

医者としてのリハビリ継続中

病棟を回診してリハビリ中です。

どの病院でもそれぞれの病院独自のシステムというのがあります。これは病院の運営の方法論的な違いが、総合病院かある特定の単科に特化したような病院なのかによっても異なりますし、公立病院か私立病院か、大学病院か企業の病院かによってもまたまた異なりますので、そこにあるシステムに自分自身があわせて慣れていくしかありません。

無論、年々歳々いろいろな改善が導入されたりもしていくのですが、そうはいっても結局はそれにいちいち自分が慣れなければ物事は前に進みませんので、まずは習って慣れるの繰り返しです。
処方の出し方、院内で処方されるドラッグの名称(特に最近流行りのジェネリックなどは名称がたくさんあって大変です)、注射液の名称、容量、投与法などありとあらゆることを学び直す事が必要です。

これに加えて、日本から離れて15年の間医師らしいことをせずに細胞とマウスの相手をしていたわけですから、錆びついた手技のリカバリーも鋭意行っていかなければなりません。今現在は私を呼び戻してくださった先生の後についてIVH、胃カメラ、気管支鏡、気切、挿管などを中心に色々と指に思い出させている途中です。(多分、昔取った杵柄ですぐに思い出してくれると信じていますが、、、。自転車のようには上手くいかないかな?)

あと病院で医師として働くときに大切な人間関係もこれから大事に育て上げていきたいものです。
以前、ここの病院に短期アルバイトでお世話になった時にいた看護婦さんたちとは今再び会っても「あら先生〜〜!」といって、気軽に声をかけてもらえる間柄ですが、今後は技術も診断力も磨き上げてマトモな医師としてのレベルを上げるよう日々努力するこれからの日々です。

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2014年1月12日日曜日

お店に入って感じるアメリカとの違い

日々の生活をおくるために当然小売店に入って日用雑貨を買うのですが、色々とアメリカと違うなーって思いました。
違和感が消えて普通の日本人の感覚に戻る前に幾つかメモの感じで書いておこうと思います。w

何と言っても圧倒的に優れたパッケージングと丁寧な陳列が印象的です。また、(私の好きな)お菓子コーナーの充実度は目を瞠るレベルですよ。w 更に「イイナー」と心から思えるのは魚介類の豊富さですよね。こればっかりは多分アメリカのどんな都市も太刀打ち出来ないんじゃないかなと思うんですが、如何なもんでしょう。魚の種類がたとえ沿岸部で多いとしても、日本のスーパーのように鮮度に命をかけるという発想が根本的に欠如しているようにしか思えないアメリカのストア。
アジアンマーケットがあるにしても、少なくともリッチモンドのものは臭い魚屋というのがデフォルトですからネ〜。

ただし、いい事ばかりでは無いかなということも感じます。それは価格。美味しいものにはそれなりに高い値段がついていてもおかしくは無いという考え方は納得できるものなのですが、それにしても高すぎないかい?という感想がチョット頭をかすめます。

最も高いなと感じるのはまずはビール。間違いなく最低でも二倍。下手すると三倍高いです。まあ、日本のビールは確かに切れやコクという意味では非常に美味いと思うし、アメリカのビールは水みたいという意見も否定はしないんですが、、、倍以上の差がつくほどではイカンでしょうという。実際、アサヒのスーパードライやキリンビール等もアメリカでは現地のビールと同じ値段で売ってますから。(カナダ製だったかな?)それでも、味は日本のに相当似てますし。
やっぱり税制ですよね、犯人は。

あと日本で超絶にアメリカより美味しいのはパン。種類と鮮度、美味しさではアメリカなぞ脚元に近寄ることも出来ません。これはガチ。議論の余地さえないと思います。そこ辺りの100円パンでさえ美味いとかどういうことなんかと逆に呆れます。

いま上に書いたようなことはこっちに帰ってきてスーパーで感じた「モノ」の違いに関する感覚なのですが、実際はスーパーの中を歩いていて感じる違いのなかで最も強い違和感があるのは「ヒト」なのでした。
これはどういうことかというと、すれ違いざまにお互いがExcuse meと言ったり、少なくとも互いが通行することに関してちょっとした断りや謝意の表明を言葉でする国からここに戻ってくると、文字通り「誰も、ほとんど」そういったことをしないということに軽い眩暈を覚えるとともに、開けたドアを誰もキープせず後ろを見ないことにも(解ってはいても)違和感が強いですね、、、。

そのうちこういった事にも慣れるのかな、慣れるんでしょうね、、、。でも、良いところは良いところとして自分の中で習慣として残していきたいものです。

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2014年1月11日土曜日

今日は医師としてのリハビリ第一日目

今日は日本に戻って初めての医師としてのリハビリ行為第一日目となりました。

もう15年以上もまともに臨床の医師としての活動をせずにこの齢までやってきた私ですので、ここは一つ初心に戻って謙虚に新知識を修得するとともに、以前習得していて今はスッカリ錆びついてしまっている手技なども再び焼入れ、焼戻しをして鍛造しなければなりません。しかし、鉄は熱いうちに打てとの言葉もあるのに50近くなって錆び付いている刀(これは言いすぎですね。実際のところはせいぜい彫刻刀か肥後守レベルw)を打ち直すと刃自体が折れそうな嫌な予感がしないでもありませんが、、、。

使われているクスリも昔と変わらないものもあれば、ジェネリックで似た名前のもあるし、本当の長たらしい化学薬品名をつけているものまで種々あってこれは覚えるまではしばらくは看護師さんに迷惑をかけそうです。orz

この病院に私を招請してくださった先輩とともに各病棟を駆け足で回りながら、今の時代の治療とはどういうものであるかを目に焼き付けながらの半日仕事となりました。医師の方ならだれでも知っていると思いますが、ワシントンマニュアルや今日の治療指針も当然の如くこの15年の間には「別物」になってしまっておりますので、up to dateの知識を頭に刷り込みなおさない限りは医師として役に立ちません。日々これ勉強である点では基礎の研究者も全く同じですが、細胞相手の仕事と違い、生身の患者さんと看護師さんも相手にしての仕事ですので、そういった意味での対人関係の能力も試されていくことになります。

ここは最初に考えたとおり「虚心坦懐」全ての人を先生に、初心にかえって物事を学んでいかねばならないなと決意した一日でした。

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2014年1月10日金曜日

日本とアメリカ-違いを感じました。

日本に帰ってきてまず感じたことは、、、(単純にアメリカ東部との比較ですが)
  • 上空から見た日本は道路が異常に明るい。
  • 風もそれなりに強いし、温度は氷点下近くなのになぜか寒さが厳しくない。(やっぱり湿度のせいかな)
  • キャビンアテンダントの女性の笑顔や挙措動作が優雅でよく教育されていて、一目惚れしてしまいました。w やっぱ日本女性はこういったところが海外でモテる理由なのかな?
  • バスで走っている時に感じたのですが、バスの右側を車がビュンビュン抜かしていくのに強い違和感がありました。(左側通行なので当然といえば当然なのですが、違和感は半端じゃ無いですね。)アメリカで助手席側に座ってハンドルが付いてないのに強烈な違和感を抱いていた渡米直後の頃の自分と感覚が丁度反対になってしまいました。
  • みんな本当に店の中でも施設でも対応が丁寧ですね。あり得ない親切さで、アメリカで仏頂面での応対が多いのに慣れていた自分には感動的でした。しかし、しばらくしたらまたそれに慣れてしまうんでしょうな、、、。
  • 人混みの中に入ると自分が大きな人に感じます。(単純な相対性理論なのですが)女の人が皆小さくて細い!
  • デブ率の圧倒的な低さ!w
  • 電化製品、自動販売機がよく喋る。
  • 道幅が本当に狭い、、、。これは本当に狭いです。
  • どこでも幹線道路はガードレールが付いている。
  • ビールが異常に高い!!!!買う気が失せる高さです、、、。マジで大きな缶一本でアメリカのビール24本入りが買えます。(まあ、薄いビールではありますが、、、それにしても違いすぎ。)
  • 売っている魚の種類の豊富さに涙が出そうです。
また気づいたことを徒然に書いていきます。

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2014年1月9日木曜日

タイトルつけ忘れw(これ翌日つけました)

リッチモンドからテキサスへの3時間半のフライトとテキサスからの13時間半のロングフライトは死にました。w

結局、ほとんど寝ることも出来ずグッタリと言う感じで成田に到着。その後急いで名古屋行の便に乗り換えることには問題なかったのですが、ここでもまたまた問題発生!なんか今回のフライトは起きないのなら起きなくて済んで欲しいようなイベントが多すぎです。orz

機内への乗り込みには特に何の問題も無かったのは書いた通りですが、時間が来ても15分過ぎても機体が後ろに押される気配すらありません。「うーん、えらく動く気配がないけどどうしたんかな?」と思っていると機長からの連絡が客席に入ってきました。

内容は、、、「デルタ航空のエンジントラブルで滑走路が封鎖されましたことに伴い、連絡があるまで待機との指示がありました。」(´・ω・`)ショボーン というものでした。

ウグ。ここまで来たら毒食わば皿までということで、もう完全に開き直りです。飛行場の行く先々のFreeWiFiを使っては、最終目的地名古屋で私を拾ってくださる予定の先生に現況を報告し、時々刻々の動静をお知らせしながらの進軍となりましたが、夜の8時25分には無事名古屋にランディングしました。

今回北回りのボストンやシカゴ経由などの便はいくら安くても絶対にチケットを買わない!という選択自体はあたっていたので問題はなかったのですが、それでもイベント盛りだくさんだといろいろと疲れるもんですな~、、、。

9時15分の名鉄バスに乗り込んで10時10分に藤が丘駅に到着。やっと先生に巡り会えました。アメリカの家を出てからの時間はら計算してみると最終的には28時間の旅という気の遠くなるような旅となりましたが、時間はかかったものの無事についたのでまずは目出度しということです。

明日からは午前中に病院が準備してくれていたアパートへの引っ越しと諸々の必需品や食料品の買い出しです。また疲れそうです。

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2014年1月8日水曜日

日本帰国の日

結局昨日の夜からほとんど寝ることも出来ず、と言うかわざと時差を作るためにある程度起きる努力をしていたわけですが、自分ももしかしたら飛行機に乗れるかもしれないと勘違いして元気に起きていた息子と朝を迎えました。
嫁さんもほとんど深くは眠れない状況でしたが、朝四時過ぎにはほぼ出発準備も整い、四時半の出発にむけてパスポートその他を最終確認して服を着こみ最後の別れいの挨拶をするために二時間ほど前に寝たばかりの下の娘にまずはサヨナラを言おうとしたところ、完璧に寝ぼけていて腕で私の手を払いのける始末。w 仕方ないので、娘の顔を眺めて少しだけほっぺたを撫でて心のなかでサヨウナラを言いました。

次は長女ですが、二階でスヤスヤと寝ていると思った上の娘のところへ行ってみると何と下を向いて文字通り嗚咽しながら涙をポロポロと流していました。
昔からこの娘は下の子と違って人と人の別れに非常にセンシティブですぐに涙が出てきて止まらなくなってしまいます。そういう点での涙もろさは嫁さんも似たり寄ったりなのですが、嫁さんに言わせると「ここまでは泣き虫じゃなかった」ということでした。

とりあえず、ハグとキスをして家を出ました。車に乗ったのは私と嫁さんと息子。飛行場へはあっという間でしたが、途中我々を猛スピードで追い抜いていった白いトラックが我々の目の前で脇道で隠れていたオフィサーにプルオーバーされましたね。w

飛行場に着いたらカウンターでチェックイン。今回はじめてAAを使いましたが、チェックイン時は登場一時間半ほど前でしたがまだまだ人は少なくて助かりました。我々がチェックインを終えたくらいから急に人が集まってきたのでとりあえず良かったかな。

ボーディングの前に嫁さんと息子としばしの別れの時を過ごしましたが、息子はきょとんとして私の顔を見つめ、今回の旅では「自分が飛行機に乗れない」と言う事実を理解して呆然としていました。可愛いものです。嫁さんはというと、、、案の定、顔全体が涙で濡れてしまっていつまでもいつまでも見えなくなるまで手を振ってくれていました。

子供三人と嫁さんをこうやって海外に残していくことなど自分の人生設計の中には全くなかったのですが、やはり子供の将来という大切な選択を成就させるためにはこの方法が最もそして最善の方法であると信じてこうする道を選んだのでしかたありません。夫婦がお互いにベストを尽くして頑張っていくのみです。

さて、飛行機はまずリッチモンドからテキサスのダラスへと飛んだのですが、スタートからいきなり「飛行機を後ろに押し出すタグ・カー」の故障で一時間遅れ、、、。それはまああいいとして今度はダラスについて」成田へ向かう便もあり得ないことが起きて一時間半遅れてしまいました。

それは何が原因だったかというと、一人の子供でした。中国語を話すマレーシア人の親に連れられた2つか3つくらいのハーフの子供が本当にボーディングのゲートから火の着いたように泣き続けていたのは知っていたのですが、母親も周りの人に窘められるくらい烈火の如くその子を怒っていて同仕様もありませんでした。時間が経てば泣き止んで、、、くらいに思っていたのでしょうが、機内に入ってもその子の泣く声は止むことはなくもうほとんど幼児虐待に近いような感じの泣き方で通路の真ん中で大泣きです。
結局どうなったかというと、この親子は一緒に乗っていた他の親族とは別れて少なくとも「合う以降の便」での帰国を促され、それに従わざるを得なかったようです。
積み込まれたその親子の荷物を再び機内の格納部から引き出すためにまたエクストラの時間がかかってしまい一時間半の遅れとなってしまったのでした。

子供がなくことには何の抵抗もに私ですが、こんなことが目の前で起きたのは初めてだったので、ただただ驚いてしまいました。もう少し宥めすかし方もあろうとも個人的には思ったのですが、子供によっては飛行機へ至る狭い通路を通って更に狭い飛行機の機内に入ってしまうと閉じ込められたような感覚を覚える子がいるのかもしれないなと考えてしまいました。
大人でも閉所恐怖症で飛行機に乗れない人もたくさん言いますから、子供だけを責めるわけにもいきません。

それにしてもこの親子、明日以降フライトに再挑戦するにしても眠剤か何かを使わない限りは多分ムリだろうなと思うんですけどね。どんなもんでしょうか。

これから機内で地獄の13時間半が始まります。w

ではあとは到着して続きを書きます。

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2014年1月7日火曜日

アメリカのラボ最後の日

今日はアメリカのラボ出勤最後の日でした。

次回春に訪れた時点でインプラントの工程のすべてを終了させるために印象を採っておかねばならなかったので、朝早めにラボを訪れ近くの全ての知り合い達と抱擁と握手を重ね、それぞれと最後の言葉を交わしました。
その後はインプラントの印象を三時間もかかって!採って今日の歯科治療の手続きはお終い。

このあとはターミネーションをするための辞職願の用紙を一枚ちょろっと書くことと、鍵の返還、それで全て終了です。特に仲の良いラボの二人とはちょっと感傷的な瞬間もあったのですが、そこはぐっと堪えて笑顔でお互いの健闘を祈り別れました。

その後日本人の先生方のいるところへちょっと顔を出して最後のちょっとしたお仕事をしました。この先生方もまたこの春には日本へ戻られますので、次に日本で会うまでのしばしのお別れというものです。

さて、今日はもう一つだけ私にとって大切な仕事が残っていました。それは昨年末に準備したVCUの全バスケット選手のサインが入ったポスターをフレーミングしたものをある女性の御家族に届けるという仕事でした。
この女性は去年の春に乳がんで亡くなられたVCUバスケットの最も有名なファンでした。それを知っていたVCUの選手や監督は私のリクエストに笑顔で応えてくれてこのポスターにサインしてくれましたので、私はそれを携えて近所でフレーミングをしてくれるところに持って行ってこのパスターをはめ込んで持っていったのでした。

亡くなられた彼女のご主人がつとめる看板屋さんで働く彼女の娘さんと久し振りに再会し、このポスターをメッセージとともにプレゼントしたところ、早速FBに感謝の言葉とともにアップロードされました。

さあ、私のアメリカ滞在もあと僅か、嫁さんや子供達と何気ない普通の夕食を摂り夜を過ごすことになります、、、とは言っても今日はいろいろと確認することも多い上に、明日も四時半には家を出ないといけないので、殆ど眠れそうにありません。

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