2013年12月31日火曜日

大晦日に思う

2013年も今日でいよいよ終了となりました。

一年いろいろなこともあり、私的にも家族にとっても激動の年となりましたが、家族の誰も大きな病気や怪我などで苦しむことなくまずは良かったと思います。
長女も大学の二年目、次女も高校の一年目で成績もお父さんが違うのではないかというレベルでコンペティティブな結果でした。どうしてこんなに勉強するようになってくれたのでしょうか、、、と口元まで出かかっているのですが、野暮なので聞かないことにしています。

やはり環境がコンペティティブなところだと自然と中にいる人間もそれが「普通」となっていくようです。親としてはありがたい結果ではありますが、いくら成績が良かろうと人と人との繋がりの部分で上手く関係を結び処理できないような人間であれば、どんなに優秀な成績で学校を卒業しても人に愛されない鼻持ちならない人間が産生されるだけの話です。
高校であろうと大学であろうと、「人間関係・交友関係を成熟化させる」ことにこそ勉強とともに重視してほしいなと心より願っています。

今のところ交友関係も良好で内面的な成長も間違いなくあるようですが、親として心配するのは大なり小なりの人間関係でのつまづきも今のうちに経験しておいてほしいということでしょうか。まあ、こんなことは親が心配しなくても本人達がいろいろと日常の中で経験を積んでいるようですので、(嫁さんからの間接情報!)今のうちにいろいろと喜んだり悲しんだりする日々を経て大きくなって欲しいものです。

息子は息子で学校を楽しみながら、毎日特殊教育を受けていますが、来年は彼をはじめ多くの障害のある子供達のために一生懸命頑張ってくれている先生のためにも毎年毎年、クラスへ向けて大きめの運動器具の寄付をしたいと決意しています。

嫁さんはといえば、今年も特に何の変化もなく家事に仕事に育児にとよく働いてくれました。
旦那の稼ぎが少ないのと、忙しさにかまけた家族サービスの少なさのせいでどこか遠くに旅に出るような事もほぼありませんが、日本に帰って少々経済的なダメージを回復できるようなことが「もし」できれば、家族揃っての旅のプレゼントも「いつの日か」出来るようにならないかなと夢想したりもします。

来年は私も半分だけベクトルの異なる別の人生を送り始めますが、来年の今頃も無事に大晦日のことをこうやってブログに書けるような平安な年であればと願うばかりです。

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2013年12月30日月曜日

今年もいろいろありましたが

今年も夏以降は日本は対外的にやかましく、アメリカは国内的に忙しい年でした。

アメリカも昔のように対外的に力を大々的に行使できるようなお金も時間も力もなくなってきており、国内問題への対応で大忙し。日本は日本で、中韓の二国から「自国の内政問題から目を逸らさせるための道具」として何度も何度も言われのない文句を投げつけられる始末。

まあ、韓国に対しては産業スパイと人材の引き抜きだけに注意してあとは放っておけばいいのですが、中国のような一党独裁国家においては一部の事実をよく知っている連中を除く、底辺の連中は鬱憤晴らしの対象として政府のプロパガンダに乗ってくる神輿担ぎにとっても日本は騒ぎを起こす相手としては格好の相手にされた感じですね。

しかし、この状況での会心の一撃となる靖国参拝は韓国に自ら「断絶」と言わしめるベストショット!中国的にも更に蜂の巣をつついたような状況へと持って行くことになりました。その参拝の直前に当然の事実として再確認され、発表された尖閣の地図の話も心スッキリの会心の一撃でしたが〜!

それにしても、朝日新聞と一部のマスゴミ連中の、防衛大臣に対する年末の恥ずかしいインタビューは何だったんでしょうか、、、。見ていてこっちが恥ずかしくなるようなバカを質問者の代表に出してくるクソ新聞が自ら名乗る「社会の木鐸」の品質よ。www


新藤防衛相はあの硫黄島防衛戦の「散るぞ悲しき」の辞世の句で高名な栗林中将を祖父に持つ人物。クソ記者にクソのような質問をされ、多分右拳には力漲るものがあったのでしょうが、こんなクソ記者である伊藤某相手にそのようなエネルギーを使う愚かさを理解しているだけに、朝日への質問返しでこのクソに恥をかかせることで締めてくれました。

いったい全体、こんな質問をする男を「代表として」送り込んでくる新聞社というのはどこの国の新聞なんでしょうかね?マッチポンプで事実を捏造し、あたかも自分達は正義の雷を振りかざす日のような上から目線の愚か者。
何が恥ずかしいって記者の不勉強ぶり。靖国参拝のことで意気揚々と攻め込んできたのでしょうが、情報源のソースがニュースとかゲロる低能ぶり。聞いたこちが呆れ失笑するばかりです。

こんな連中の「新聞」を、今でも購読している連中が日本にいるという事実に改めて驚く2013年最後の私です。

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2013年12月29日日曜日

荷物を詰め終わった夜

一人帰国に備えての荷物の詰め込みが終わりました。

スーツケースは2つで、一つの方のほとんどの荷物は実験の道具。パイペットマン、ギルソン、ウェスタンのタンクやキャスティング・システム、あとは諸々の試薬やプラスティック・ウェア等で、お金を払って買おうとするとすぐに軽自動車が買える程度の金額になるレベルの荷物です。
もう一つのスーツケースは半分が日本ですぐに使う衣類、あとの半分はやはり実験の道具という具合です。w

実はスーツケースで持ち運べる荷物は今回の運行機の場合一つまでというケチな状況なので、この一個分余計に運ばねばならないスーツケースは$100の追加で運ぶことになります。
キャンペーン期間など、特別な場合をのぞいては徐々にこういったセコい運行規定になってきてますので、今後は昔のようにエコノミークラスでも二個までならフリー!なんていうことは減っていくんでしょうね。糞食らえですが。w

実は、あと一個たくさん荷物を運ぶ方法があります。それは機内持ち込み手荷物。
実は今回この手荷物に実家の母ちゃんから碌でもないリクエストがあって、それを運ばなければなくなってしまいました。何を運ぶかというと、ハーシーズの板チョコ99枚!一袋の長さが約40センチ。幅が10センチ位のもので、一つ一つは大したことないんですが、これを99個も持って帰るとなると、機内持ち込み手荷物タイプのプラスチックスーツケースの片面半分+αがこのチョコで埋まってしまうという豪快な状況でした。
おまけにこの機内持ち込み手荷物が17キロ!殆どはチョコレートによるものです。母ちゃん勘弁してくれ、、、。orz

 一体全体、一人旅の男が怪しい実験器具と共に手荷物の半分以上を占めるブラックチョコレート入の機内手荷物を見て怪しまないほうが不思議です。チョコレートのせいで今回の日本への移動が留め置かれたりしたら、チョコレートに起因したPTSDになりそうです。w

さあ、出発まで十日を切りました。

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2013年12月28日土曜日

ラボの学生達とお別れ&忘年会

夕方五時から隣部屋のオフィスのスコットランド人PIの家に呼ばれてパーティーでした。

車で5分程で着くような近所にある彼のお宅に家族でアップルパイを焼いて訪問しました。既にそこには数名の教え子とその御主人、また他のPIやその奥さんと子供さん達が来ていました。
他にもそれから数分程度でドドーーっいう感じで、まだまだ結婚には若いシングルの学生たちも入ってきました。全員で二十数名でしたから、当然全員が座れるほどのテーブルや椅子はありませんので立食パーティーです。

話は次から次に近況、楽しかったこと辛かったこと、笑い話、これからのこと、、、どの人間同士が話し相手でも話が止まることはありませんでした。そこに居た教え子たちのほとんどは女の子達でしたが、僕が教えた子たちは話すに話せぬいろいろな苦労を共にしたり、他のラボに所属していても僕のところに始終やってきて、あたかも僕が彼女たちのPIであるかのような立場でアシストしてあげていたという事情もあったため、これから僕が日本に戻ることを話すところまでは笑顔なのですが、いよいよその後の思い出話になるともうダメ、、、という感じでポロポロと珠のような涙を零されて私まで一瞬込み上げるもののために「グッ」と詰まってしまいました。

辛かったことも楽しかったことも、全ては時の流れの中でオブラートに包まれて「良い思い出」として忘れられることなく残っていくことでしょう。

最後にはスコットランド人の友人からのスピーチが彼の国の高級スコッチウイスキーとともにプレゼントされ、僕もお礼のスピーチを返礼として返しました。
また春には戻ってきますし、半年ごとに戻ってくるよと約束はしましたが、既に自分の人生の3分の1を過ごした国を去るというのは少し寂しい気がしないでもないですね、、、。まあ、研究を続けつつ日常の診療にも手を抜かないように医師免許を持つものとして恥ずかしくないよう頑張りたいと思います。

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2013年12月27日金曜日

女の子と化粧

我が家には息子以外に高校生と大学生の女の子がそれぞれ一人ずつ居ます。

上の大学生の子は「私にとって」至って普通の女の子でほぼたまにする薄化粧以外は化粧っ気無し。ところが14歳の次女は既に小学生の高学年の頃から非常に化粧という行為に関して興味津々でした。
アメリカだと小学生でも化粧している娘は普通に化粧していて、あまりにもケバくない限りはそれが不良行為の前段階とか言うような意識は親たちの間ではほぼ皆無のようで、(少なくともこの辺りの公立の学校では)そんな娘がいるから、学校に不良がいるなんて言うような苦情が来ることはまず考えることも出来ません。

日本だったら身だしなみの乱れ=生活の乱れ=学業不振と素行不良の元凶というような方程式がまことしやかに囁かれるのでしょうが、この国では髪が金髪や茶髪だからと言ってそれが反抗期と結びつくような事は理論上も物理的にも起こりえません。だってブロンドの娘も茶髪の娘も極普通にとなりに天然の髪の持ち主として座っていますので、、、。w

さすがにピンクや緑や青というのは長期休日期間中以外はまず見ませんが、それでもそれが素行不良とつながるかというとやはり違います。居たとしてもそれは単に一部の人間であって、化粧の有無と同じく、髪の色が必ずしも直接そういったことには結びつきません。

我が家の下の娘の場合、中学に入った時点でもう普通に朝早く起きてファウンデーションを塗って、化粧をバッチリして、、、というふうになっていて、私もそれを最初の頃は「若いのに肌を痛めるような行為をわざわざする必要もなかろう」と言ったのですが、異常に集中してアイメークの方法などを勉強しているのを見てもうそういったことを言うのを諦めました。

日本に帰国して中学に通学した折には化粧はもちろんピアスも外して普通に子供子供した中学生らしい女の子として学校に体験入学していたので、「何時もそれでいいじゃんか!」とは言ったのですが、アメリカでは違うんだそうですよ。orz

勉強はバリバリやって不良行為も全く無し、だけど化粧やピアスは普通にする、、、。
じゃあ日本で同じように茶髪でピアスをして化粧を学校でしているような連中は平均して同様に勉強もしているのかというと甚だ疑問なんですが、最近の日本のことは知らないので何も言えぬ、というのが正直なところです。

でもやっぱ日本では、そういった行為自体が「反抗」や「背伸び」のアイコンとして使われてるのかいな?

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2013年12月26日木曜日

日本の大学を変えるとすれば第一に流動性を!

大学院を出た段階で、そこに行った多くの人はいわゆる博士号というものを取得しますが、通常それは高度に専門的な「人間の持つ知識のうち、極一部の分野」に関しては多くの市井の人に比すれば比較的突出した知識や経験を持ったというある種の資格証明を得たことを示唆します。
では、その専門性を得たことで次に待っているのは何かということなんですねが、殆どの人はその資格証を手に企業の門戸を叩くかアカデミアで生き残る道を選びますぼうとします。

しかし景気の波の上下動で企業の門戸は不定期に閉ざされたり開いたり。更に残念なのは大学院で学んだことは企業にとっては使えぬ知識だとか、大学院に行ったせいで逆に使いにくい人材だとか言われて門戸は閉ざされたままというのも多いわけです。更には日本の大学院の入試というのはまあ、大学の選抜試験と違って、一般的に言われるトップ大学のレベルでも「甘い」ところが多くあるため、企業側が「学歴クレンジング」が行なわれたXX大学大学院卒!というラベルを(特に近年)全く信頼しなくなっています。
結局は企業と繋がりのある教授と企業の「出来る子紹介」とか「よろしく頼む!」というような流れが就職を決めたりすることも多く、一体苦労して取得した「博士号」は何だったのかという話になることもよくあるわけです。

企業への就職では上のようなこともありますが、では果たしてそれを選ばずアカデミアの方を狙ってみたらどうなるのかというと、、、今度は上の方に高給取りが大量に詰まっているせいで、これまたほとんど教職を正規に取ることは夢のまた夢のような狭いステップを注意深く登っていかなければなりません。しかしながら、研究室内の力関係や教授の突然の移動や死去にともなって登るときに使ったはしごをおもいっきり外されるなんていうことは世の中「ザラ」にある訳で、こちらの方もそう全てが順調に行くわけではありません。

最近は日本の場合、大学や研究所関係では特任助教や特任准教授という形で5年などの期限を与えて正規職への道へ挑戦させるのがアチラコチラで行われていますが、この挑戦権を与えられた若手達が、その制度をセットアップして上から睥睨している形になっている正教授達の多くより実力が劣るかというと話は必ずしもさに非ず、実は大学に在籍している正規教授の方には既に意欲も知識も錆びついちゃって教育から研究から「使い物にならん」人達も腐るほどいるんですね、これが。w

挑戦し続けるべきは実は正教授のはずなんですが、助教、准教授、教授という階位の階段を登って行っただけで実質的に資格審査に当たるものを経ずに横滑りのままで教授になってしまう人達の何と多いことでしょう。少なくとも私が出た医学部の教授は(私が学生当時は)学生の私から見ても「冗談キツ〜。幾ら金ばら撒いた?w」というようなのが沢山居ましたね。

教授職におけるテニュアの制度なんてさっさと無くして、出来る奴に下からドンドン圧力かけさせてやれば良いんですよ。ほんとに。幾らふんぞり返ってやっていても、業績のある若手が下から上がってきたら数値評価で比較して下に道を譲る。しかも、最短で5年、最長で10年くらいで。そうすれば人材の流動性も嫌が上でも(強制的に)高まるし、上の人間も肩書きなんてクソほどの値打ちも無くなて常に「頑張る!」状態でないと生きていけなくなるはずなんですけどね。

その教授等の職の評価の方法はやっぱり、アメリカ式に研究、教育、学内雑事etc,.のコンビネーションになるかとは思うんですけど、教育教授と研究教授を最初から分けるというのも方法論的にはありかなという気もしますが、このあたりの議論は文科省あたりではどうなんでしょうかね。

とにかく、既得権益の部分を抑えて下から出てくる芽を押さえつけている多くの「死骸w」を取り除かないことには「出来る若い人たち」の挑戦意欲自体を消し去るリスクも大きいわけで、それが日本のために良いことであるわけがありません。
流動性こそが日本のアカデミアをより良くする鍵だと自分自身は固く信じているのですが、日本の「硬直化したシステム」の下ではそういった理想論はナカナカ芽吹いていかないのもまた事実です。

日本でよくあるA大学卒、A大学大学院卒、A大学助教、A大学講師、A大学准教授、A大学教授(たまに助教の年代周辺に海外で一、二年教室の紐付き留学を経験w)とかいう、流動的な研究環境にあるアメリカの大学から見たら「なんかA大学に憑依されてるんですかこの人?」とかいうような履歴書の上から下までコピペして年代と職名のみ書き換えればいいような教授の何と多いことでしょう。それは地方も中央の大学もほぼ同じような同族経営、身内優先の論理が蠢く気味の悪い大奥の世界。

ワタシ的には殆どブラックジョークなんですけどね、、、。

アメリカで見てきた多くのチャレンジャーは別に日本人にかぎらず、本当にいろんなパターンとパスウェイを経て挑戦しては去りまた挑戦しては去りという感じで新陳代謝が非常に盛んだという印象しかありません。私の周囲もそして伝聞でも、、、。
そして、挑戦を繰り返し、また次の所へ去って行くことがアメリカでは敗北ではない、というのがかなりのコンセンサスを得ているとアメリカにおける外人の私には思えます。流動性、流動性、流動性。これこそが日本を変えるキーワードだと堅く信じます。じゃあ、戦い敗れて去っていく教授たちはどうするかというと「他の大学に応募する」というのでいいと思いますよ。本当に使い物になるのだったら必ずどこかが拾うはずですから。そうでない方は、、、。残念賞。他を当たってください。

例えばシステムとして半強制的に「少なくとも正教授の半分は外部の大学を卒業した人間をどの学部も招聘しなければならない」とするだけで劇的に人的交流・ハイブリッド化は進むと思うんですが、如何なもんでしょうか。いやせめて3分の1、いや4分の1、、、どうやって抵抗勢力の反乱と陰謀を殺すのか。敗戦か明治維新並みの大変動なんてもう起きないままに日本は萎んでいくんでしょうか、、、。良い人を外から内に入れるためには情実のレベルが下がり、実績で呼びこむために海外から日本人や外人を呼びこまざるを得ないし、地方にとっても中央の大学で椅子に座りきれなかった優秀な人を呼びこむ良いチャンスですし、これが30年も続けばいい感じでシャッフル出来ると思うんですけどね。どうでしょうか!?(当然予算配分とかで文科省はヒエラルキーを超えた「人材へ直接弾を当てる」ような配慮が必須ででしょうが、優秀な官僚が権益を超えてまじめに取り組めば本当は結構良い制度が出来ると私自身は信じているんですけどね。)

今日はちょっと長く書きすぎました。orz しかも全然言いたいこと書ききれてないし。書きたいコンテンツが前後で二分割されてるし、小論文に出したら0点どころかマイナス点ですなこりゃ。w
文科省のほうにWさん経由でこれ推敲して送ろうかな。まあ即、屑籠行きか。ジャンジャン。www

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2013年12月25日水曜日

キンドルあげたクリスマス

クリスマスだからといって取り立てて何の行事もありませんでした。

上の娘にアマゾンのキンドル・ペーパーホワイトというのを贈ったくらいで、嫁さんと私同士、息子にも特になし。また下の娘には100ドル分の何らかの衣服を買ってもいいよ〜、という約束だけをしました。w 
まあ、いつものことですが、我が家は特に信心する神も無し、況やキリスト教を深く信心等ということもありませんのでこういった商業的習慣は(出来る限りw)華麗にスルー!

去年はチョコっとだけ凝っていましたが、通常はクリスマスツリーの下にアメリカ人のように、一ヶ月も前からプレゼントの山を築きあげるというようなことをしなくても子どもたちはそんなことには何も言及しませんし、サンタはいつも目の前にいることをもう随分と前から解っておりますので、、、。

今年はキンドルを手に入れた上の娘ですが、このリクエスト情報は嫁さん経由で何となく私の方へ漏れ伝わっておりましたので、もう三週間ほど前にはこの目に優しいというか、実際の本の読み心地に近いと言われているe-inkを使ったバージョンであるこのマシンを注文していました。

実際に届いたものを今日、娘が開封して使い始めてみたところを横からしばらく眺めていましたが、結構インク表示の遅延もあるにしても、それが残るようなことはなかったので合格かなという感じですね。
早速アマゾンのストアで本を買っていましたが、まずはフリーバージョンをダウンロードして使用し始めていました。彼女が即出してきた悩みは「今持っている大好きな本を電子版で持ち歩くか否か」ということのようでした。
例えばスタインベックの怒りの葡萄の様に何度も何度も読み返しているような本を買って持ち歩く?という感じのことでした。まあ、今学期も学業の方は頑張っているようなので、時折お父さんらしくドカンと大人買いを許しましょうかね、、、。

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2013年12月24日火曜日

昼からビール!

今日は日本人の若手の先生と以前からどこにあるのだろうと不思議に思っていたビアホールに行きました。

ここリッチモンドでも、当然のようにレストランでは地ビールを出します。良く考えるとなんで日本はギチギチに酒税法で自家製の酒造りを禁止するんでしょうかね?
アメリカで普通に出来ることが日本では出来ないし、してはいけないといういう。まあ、国が違えば歴史も背景も違いますから一概に多くのことをマッチさせる訳にはいかないのも当然なんですが、家庭でのビール作りくらい許しても良いと思うんですけどね〜?

ここの名前はLegend Breweryというところなんですが、私がこのリッチモンドにいる間の20年間、ここの存在に気づくことはありませんでした。他の日本人の先生方の話の中でそういうところがあるという事だけはここ二、三年の間何度か聞いてはいたのですが、どちらかと言うとすぐにラボからShockoe Bottomのどこかにすぐに行ってしまうので、ここにまで足を延ばす事はありませんでした。

ここが我々の部屋から見た店内
店から出た時のリッチモンド側の風景です
12時過ぎからの男三人のビールがん飲みでしたが、今までのこと、これからのこと、様々なことを話しながらの一時間半ほどでした。
テーブルを受け持った店のおばさんは、アメリカ南部なら普通に見るような「田舎から出て来ました〜!」というような、野太いダミ声で南部訛りを話す人でしたが、丁寧に応対してもらい大変気分の良いものでした。

またリッチモンドに戻ってきた時に再びここで飲むチャンスが有ると良いなとふと考えたクリスマスイブのお昼でした。

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2013年12月23日月曜日

怒りのエディター仕事

「間違って」引き受けてしまった中国人たちの論文のエディターの仕事が今日も一つ終了。

俺は強く言いたい!中国人はサイエンスを舐めとるんか?と。無論、これが全体の中のごく一部であれば良いんですが、最近連続して引き受けたレビューとエディタの仕事の一連の仕事の中でも、「数だけは飛び抜けて多い」中国からの「」投稿には本当に辟易しています。

ハロルド・バーマスが音頭を取って始めたこのオンライン・パブリケーションシステムなんですが、サイエンスをやっている人達にしてみれば多分、私がしているエディターやレビュアーとしての仕事の一部がどのジャーナルを指しているのかは容易に想像がつくと思うんですが、そこに集まってくる投稿の中でも多分ダントツに数だけは多い中国からの投稿には最近頭にくることばかりです。

なぜなら読む一秒一秒がその分殆ど全て私にとって時間の無駄だから。

実はこういった感想を持っているのは私だけではなくて、周囲の何人かのPIに出会った時に、これらの中国人が出してくる論文のことに関して「ちょこっと」そういう愚痴をこぼしたところ、出るわ出るわ、、、エンドレスで罵詈雑言。
ほぼ全員が同じような問題意識を共有していて、「何とかして」こういった屑を排除せねばという意識がありありでした。

彼らの「」投稿の共通した特徴を上げていきましょう。(糞の投稿であって論文投稿とはとても言えません。)

  1. 英語が校正された形跡がなく、「まともな」博士課程のサイエンスの教育を受けたのかというレベルの記述のものが多い。(こちらからのリビジョンを通して英語の校正でもしようと企んでいるの?w)少なくとも誠意を見せろというレベルの英語で提出して欲しい。
  2. 論文の形式として異常に多いメタ・アナリシス!要するに人の論文を掻き集めてその論文のデータを使って統計的な処理を施してそれを論文として出してくる連中の多いこと多いこと、、、。
  3. 論文をレビューしてあげて、ここのデータとあそこのデータのどこがオカシイと言って指摘してあげても、それに答えずに論点をずらして答えない連中や、ただ論文のなかのセンテンスだけ書きなおし、あとは適当な理由にならない理由をつけて返してくる。それも一度ならまだしも二度三度!
  4. 他の人達が数年前から、何度も何度も事実として確認してきた事実を自分たちの持つ病理学的サンプルを用いて再チェックして「結果は同じ、かつその理由は不明なので今後共更に研究を要する」という結論で出してくる論文が多すぎ。前に誰かが出した論文を追試して同じ結論を出すことの重要性を悪いとは言いませんが、ノイエス(Something NEW!)が何も無く、あまりにもミエミエの論文数増加作戦として書かれているものに私自身が加担したくない。
  5. 一つの論文として初めて完結すべき論文をデータをスプリットして二本もしくはそれ以上の論文にして出そうとする。それを自分がエディタやレビュアをつとめる論文ではさせる気は毛頭ない。(前にも書きましたが、追加データを要求した改定稿に対して、大胆にもそのデータは次に使うつもりとわざわざ書いてくるアホな輩も一人ではありませんでした。w違うって!それが無いとこの一報さえも完結しないっちゅうの!!)
最近はレビュアをするときもエディターをする時もAuthorのところに中国人の名前がずらずらと書き込んである論文は引き受けないようにしています。上に書いた論文は疲れていた時にタイトルだけは面白そうだったので、著者名のところを見ずに「間違って」引き受けてしまったものです。w

とにかく、中国側には論文の発行を持って給料の額やポジションのオファーを決めるということが「露骨」を超えたレベルで行われているのは漏れ伝わっていますので、そういうプレッシャとインセンティブのもとでは「必ず」こういう糞投稿が粗製乱造という形で出てくるのでしょうね。

無論、中には優れた投稿も「きっとあるのでしょう」と願いたいところですが、別に中国人のことをどうこう、個人的には思っても居ませんが、私自身の体験した苦々しい統計的な事実としてこれ以上自分の時間を無駄なストレスに晒したくないので今後共、中国人達の名前でほぼ埋めつくされた共著論文のレビューとエディットは慎重に避けたいと思います。

ところで、日本の論文などが少なくなって中国からの科学論文投稿が激増しているというような分析の浅い記述の記事を見ても日本側のシュリンクはあるにしても、中国側の論文数が増えてきていることに何の感慨も持たないのは内側から眺めて、その数の近年の激増がどういったことのもとに行われているか実感として知っているからです。

こういった人達に「もし」倫理観というサイエンティストとしてのもっとも重要な最後のタガが外れたらどういうことが起きるのか、、、いや、もう起こっているのかも、、、。(日本人にはそういったことをしている人は少ないと信じたいものです!)

恐ろしいことです。
追記:あ、今日最終的にエディティングが終わった仕事は三人の全員一致でREJECTでした。当然でしょうね。

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2013年12月22日日曜日

人大杉w

この時期アメリカはどこに行っても人、人、人です。

実際のところなるべくどこにも行かないで済むようにしているのですが、生鮮食料品などはそうストックが長く持つわけでもありませんのでどうしても買い物をしないといけません。クリスマス前の一週間前後とクリスマス後の一日分を合わせた合計10日分前後がいつも人の波、波、波です。

この間にちょろっと外出しても、車は多いわ、通常はめったに遭遇しないような訳の分からん運転する連中への対処はせなアカンわで少々ストレスフルです。目的地に着いたところで人が少ないというわけではなくて、クリスマス前の書き入れ時に合わせて設定されたセールに引きつけられてきた連中がウジャウジャ。w

こっちは通常の買い物をサッサと済ませて帰りたいだけなのですが、レジの前には長蛇の列が出来るせいでときには並ぶこと自体を諦めて家に帰ってしまうというようなことも起きます。

近所のちょっとしたストアでさえそうですから、ショッピング・モールなんかになるとまず駐車場に車をとめるスペースが無い、というところから話が始まって、上に書いたように人の波をかき分けての買い物、そしてレジの前での最後のクリスマスプレゼントの買い込みという手順になります。

最近はクリスマスプレゼントもネットでの注文が増えて、少しはそういった混雑も減っているんじゃないかと思いたいのですが、アメリカの人口増加は今のところ単調に一本調子で増加していますから、そういったことを差し引いても、やっぱり混雑ぶりに変化はないのかもしれませんね。

私がアメリカにやってきた15年前から既にこの国では4千万もの人が増えています。wどこかの国のように、人口減に伴う国力の急速な低下が心配される国とは凡そ心配のネタが違うようです、、、。

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2013年12月21日土曜日

クリスマスパーティー

今日は六時半から日本人ポスドク研究者の四家族が我が家に集まり、今年のクリスマスを祝いました。

我が家も嫁さんが昼過ぎには必死の臨戦態勢であれやこれやと作りながらメモ帳から出来た料理を一つづつ消していきました。ケーキは上の娘が勝手に焼いてサーブしてくれました。

揃った夫婦が五組で(我が家込み)10人。子供が我が家の三人と合わせて全員で六人。何と16人という大勢の人間が我が家の狭いリビングルームとダイニングでひしめき合いました。
各家庭から数皿ずつ前もって相談しあう形で手作り料理を分担して持ち寄り、テーブルの上へ一挙に並べてビールと麦茶とジュースを開けて乾杯です。

話の内容はあれやこれやとあちこちに飛びながらきりがありません。
小さなグループがアチラコチラに出来てはそれぞれに話が盛り上がる感じでしたが、男性陣はゲストがいろいろと持ち寄ってくれた焼酎、日本酒、赤ワインを次々と空け続け飲み続けました。順に獺祭、日本橋、バージニアワインでしたが、やはり話が盛り上がっている時に飲む酒は何を飲んでも良いですね。

私はチビちゃん達とも久し振りに汗だくで遊び、自分の子供達が皆チビ助だった頃の懐かしい感覚が鮮やかに蘇ってきましたが、唯一違うのはもう一時間ほど連続で遊ぶほどの十数年前の体力は無くなってましたね~。精々30分前後がいいところ。やっぱ、今子供とか生まれたらとてもじゃないけど激しく遊んでやることはできないな、ということだけは確実だということを確かめられました。w

この先生方の多くも後数ヶ月で日本に戻っていきますが、彼らの成し遂げた仕事は流石は日本の外科医というレベルの素晴らしいものでした。

そういう彼らのことですから、これから日本に帰っても立派に教室を引っ張ってくれる人間として活躍してくれることは間違いないと信じています。今回の留学では、彼らはリサーチ以外に多くのことを学んだということを話してくれました。その話を色々と聞いていると、吸収したことが彼らの中で既に立派に自らの血肉になっていることを強く感じました。

ケーキを切る少し前に、A先生が誕生日を迎えたことを知っていた私達は小さなショートケーキを彼の前に差し出し皆でバースデーソングを歌いました。
時間も矢のように飛んでいき、眠そうな子供さん達のいるファミリーから三々五々帰って行くことになりましたが、その際にちょっとしたクリスマスプレゼントがあちこちから出てきてチビちゃん達は幸せそうでした。それを見ている私達オトナもやはり嬉しかったですね。

残った夫婦二組ともまたまた話が弾み、ふと気づいた時にはもう時計の針は一時過ぎ。気づいた我々自身も驚きましたが、本当に楽しいひと時でした。
また彼らとは日本で出会えることは間違いないのですが、再会する度にもし家族のメンバーと出会えるとすれば、子供さん達もあっという間に小学生、中学生となっていくんだろうなとフト考えた夜でした。

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2013年12月20日金曜日

大学最後の日

今日は私にとって大学における最後の日でした。

実は大学の教職を辞して来年の1月から日本の私立病院で働くことになりました。と、こんなことを書いても世の中の多くの方にはどうでもいい事なんですが。w
やはり今の状況ではなかなかグラント・マネーの取得状況が厳しいという現実には勝てないということ、もう一つの大きな理由は障害のある長男の為に自分が死んだ後の事を真剣に考えると、流石に自分の道楽だけを押し通すのには「限界」がやってきたことを痛感しました。

既に、二年ほど前からこういう方向転換のことは自分なりには考えていたのですが、この夏頃にこういう決断を受け入れることに前向きになれるようになりました。
本来であれば、こういった考察についてはディビジョンチーフと真剣に話し合うべきなのでしょうが、ラボの周辺でも色々あって、結局、彼ともこの夏に真剣に身の振り方に関する話し合いを行い、グラントの獲得状況を考えると、このままでは厳しいという共通の認識のもとに大学を辞めて医師としての仕事に戻る事に決定しました。

そういった状況をNIHの同じラボで働いていた大先輩に当たる方にメールしたところ、即座に骨を拾って下さるという有り難いメールを頂くとともに、研究も継続できる環境に有ることを話していただきました。
もともとこの方は私なんかより「遥かに」研究能力の有る方でしたので、私にしてみればこの先生と研究出来るだけでも実際のところ僥倖なのですが、おまけに仕事のオファーまで頂けるということで、私としてはもうこれ以上の仕事はあり得ないだろうと、感謝感激していました。

更に恐縮すべきは先方の先生は私のわがままを許して下さり、この夏に行った内々の決定から来年の1月初旬までの間、私がいろいろと整理してから帰国することを許してくださった事でした。

そして、今日が最後の大学出勤日。多くの人間達と関わりあった10年間の大学教員、PIとしての生活でしたが、本当に多くの経験を積ませて貰えたという感謝の気持ちで一杯です。

リーマン・ショック以降、研究者にとっては厳しい予算状況が続く日々ですが、残っている日本人の先生方をはじめ、多くの同僚たちには心からのエールを送る私です。
来年の1月8日にはここリッチモンドを発ちますが、大学の研究業績が継続的に上昇していくことをひたすら祈るばかりです。

実は家族は私とは一緒に帰らず、後三年半の間ここに残ります。一番下の娘が高校に入ったばかりで、こちらの大学に受け容れられるその日までは家族が残ることになります。一番上の娘は今、大学の二年生ですし、まだまだ頑張るしかありません。また、長男は幸いなことにこちらで20歳になるまで高校生として教育が受け容れられますので、ちょうど嫁さんと息子は次女の大学進学と同時に帰国する手はずが整うことになります。

さあ、これから始まる私の日本での逆単身赴任研究生活、どうなることやら、、、。

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2013年12月19日木曜日

新しいiPhoneを買いました

今日はクリスマスプレゼントとして上の娘にiPhoneを買いました。

数日前に書いたように娘達のiPhoneの全面のガラスはバキバキに割れてしまっていましたので、さすがにこれはイカンなという思いもありましたので、まあ、今回のクリスマスプレゼントということで電話の置換えなんかはちょうど大学生には手頃かもということでこれを今回のプレゼントとする事に決めました。

仕事が終わって家に居た上の娘を連れてミニ・デート?という感じで近くのVerizonまで連れて行きました。店に入って娘がまず悩んだことはiPhoneの5sにするか5cにするかということでした。彼女によるとデフォルトのメモリサイズが8Gの今の4sでは小さすぎて困るけど、16Gあればもう十分以上ということでしたので、5sを買えばいいんじゃないかと言ったところ「どうせカバーかけるし、指紋認証昨日とか別に欲しくないし、ゲームとか電話ではしないから」ということで、5cで機能的には十分となりました。

そこで娘が選んだのは白の5cで、メモリは16Gのものでした。(この選択が後で少しだけ困った事態を惹き起こします。)結局店には一時間前後居て、契約その他のことも含めていろいろと変えてきました。

さて、次のステップはお決まりのケース選びなのですが、まずはターゲットに行きました。そこで判ったことは、、、5cのケースは実に少ししか売っていないということでした。w
やはり売れ筋本命は5sだということですよね。それに5sと5cでは実にビミョーに形状が違うんですよね。だからカバーはコンバーチブルではないのでした。

結局Walmartにも行ったのですが、安いあんまり精度の高くないカバーしか無かったのですが、傷をつけたり割ったりしないために表面のラミネートとそのカバーを買って「とりあえず」のケースとしました。家に帰ったら速攻で「イカツイ」ピンクのケースをネット注文してましたね。(勿論自分のお金で!)

さて、後二、三年はこれでいって欲しいものです。は~。

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2013年12月18日水曜日

Googleハングアウト 凄いですな

今日はUJAの討論会のために東海岸と西海岸の人間がGoogleハングアウトで一つの画面上に集いました。

Googleハングアウトっていうのが何かご存じない方もマダマダ沢山いると思うのですが、チョット前まではかく言う私もその一人でしたから、偉そうなことは何も言えないし表面的なことしか言えないのですが、一言で言えばネットで繋がる人間がマイクとビデオシステムのあるコンピュータさえ持っていればその画面上でビデオ会議ができるというものです。
下にその様子が紹介されていますので百聞は一見にしかずということで。
実際にはグーグルのアカウントを持っている人が他のグーグルアカウントを持っている人に対してGoogle+の中に御招待という感じでビデオチャットしてるんだと言うイメージなんですけど、Gmailのアカウントを持っている方なら非常にシームレスにこのシステムの中に溶け込んで行けます。

今回は約二時間のネットミーティングでしたが、テキストが画面の中を流れるようなニコビデオ風の改善が有ると良いなと感じました。8人の人間が何の問題もなく会議を行いましたが、昔のネット上でのビデオチャットシステムの貧しさを知っている自分からすると、知らないうちにこういう世界はお金を払わないでもこんな事ができるようになっていたんだと思いました。

昔は、といっても20年ほど前には恐ろしく解像度の低い相手の顔が時々止まりながら、かつ音がブツブツ途切れながらオマケに接続自体も切れ切れになりがちなCU-SeeMeというソフトウェアを使ってシカゴ大学かどこだかのボランティアのサーバを中継してのチャットでした。無論、その接続品質は一回使えば二回目は使いたくなくなるようなレベルのものでしたので、それを思えば本当に「遠くへ来たもんだ、、、」というのが正直なところです。

次の十年、一体どういう風にネット環境は便利に変わっていくのでしょうか。
是非、これからの変化をじっくりと見たいものです。

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2013年12月17日火曜日

ラボのクリスマスパーティー

今日はラボで年末恒例のクリスマスパーティーがありました。

皆がそれぞれ少しずつ自分で買ってきたり作ってきたりしたものを持ち寄ってのパーティーというのが定番ですが、今回もまさにそれでした。
料理の載った皿が30皿くらい、デザートが15皿程度あって勿論誰も食べきれません。世界中あちらこちらから人間が来ているラボですので、当然のごとく料理も世界中の料理の寄せ集めです。
和食、中華、インド料理、イギリス料理、アメリカン、韓国、あとはどこのかわからないようなのも、、、。

飲み物はアルコール抜きでしたが、何れにしても到底みんなが必死になっても食べきれる量を超えているということで、パーティー終了後も毎年大量に残ってそれを食べる義務がポスドクや学部学生に発生します。w
年齢も人種も役職もてんでバラバラ
飲んで食べて喋って、中には見たこともない人も当然混じっていますが、物理的に離れた他のラボに短期滞在するような人達だとどうしてもそういった人も存在するわけで不思議ではありませんよね。
まあ、今年も無事に事故もなく終了しそうですからメデタシメデタシという訳でしょうか。生産性という意味では新しいディビジョンチーフもやってきたばかりでどうなるかはまだまだ不明ですが、内部的にはいろいろありまして、、、多くの研究者にとっては更に厳しい来年度になりそうな気もします。

今日はその後、アップルストアに行ってPowerbook Proを買って帰りました。ちょっとだけAirより厚くて解像度も高いしパワーもあるし、値段もそう変わらずとくればリサーチャー的にはこっちも有りかなと思ってます。

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2013年12月16日月曜日

大学から娘が帰宅

今日はボルチモアから上の娘が帰宅しました。

夜の9時過ぎに一人で車に乗ってStaples Mills Rd. Stationまで行きました。それほど寒くもなく、車を降りて数分したところで娘からテキストが入ってきて「もうすぐ着く」との知らせが入ったと思ったらもう駅舎の後ろではアムトラックがゴトゴトいいながら入ってきました。

暗闇の中から小さな影が現れてきて、照れ隠しのためかさり気ない感じでチョットだけ手を振ってました。その手からスーツケースを奪って車へ向かいました。
車内に入ると、テストとレポート提出が終了した安心感からか、出てくる出てくる大学の中のいろいろな面白い話。

色々と面白い内輪話を聞いていて、何だか不思議な感じがしました。何にかというと、自分の娘がいつも大学で出会っているのと同じ年頃の娘(こ)が実は既に自分の子供であるという事実に。
自分の中では自分の精神的なレベルは目の前で話している女の子と同じクラスメートような精神年齢のつもりなのに、実際はこうやって眼の前で一生懸命父親である自分に話し続けている女の子の人生を応援する立場にあるという不思議。うーん、不思議というか違和感と言うべきなんでしょうかね、、、。

こうやっているうちに、やがてはこの娘が大学を卒業して、やがては仕事を選び、(願わくは)やがては結婚して人の親になるのを見ることになるのだろうかと、ぼんやりしながらも確かに迫ってくる時の壁を感じざるを得ません。

気づけば30代、気づけば40代という感じで馬齢を重ねていますが、やはり時が過ぎていく速度というのは、歳を重ねるごとに加速していくという先人が無限に語ってきた「黄金の法則」通りであるということを実感する日々です。

さて、話を戻して家についた娘のほうですが、家に入るなり大声で自分の妹と母親と話し始めました。ハイテンション!w 今回はなんと来年の1月19日まで我が家にいることができるとのことで二度びっくりです。まあ、家でリラックスして楽しい年末年始を過ごしてもらうこととしましょう!

やっぱ家族が全員揃うっていいですね〜。

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2013年12月15日日曜日

iPhoneの画面が割れても、、、

娘達二人のiPhoneはどちらも画面のガラスがクモの巣状に割れています。

娘達はこれらの電話をほぼ一年ちょっとで二人共割りました。原因は手から滑っての落下。その結果がどうなっているかというと、下の写真のように、、、。
左が高校生の娘の4、右が4Sの上の娘のもの。(´ヘ`;)ウーム…
ところが驚いたことに、このトンデモナイ状態でどちらも二年前後これらの電話を使い続けているという、私からしたら意味不明の状態なんですが、特に何の問題もないと言ってるんですよね。
上の娘の電話に至ってはご覧のように破砕したガラスの上部の方は時間の経過とともにポロポロと落ちていって内部の部品が剥き出しの状態になってきています。
それでも特に問題無しと言うんですが、何が何だか、お父さんには全く解りません。

上の娘の話しによれば、殆んどの友達の電話の画面はクモの巣の日々が入っているそうなんですが、ホントなんでしょうか。w
私はこういう事態を見越して、カッコなんてどうでも良いからミル・スペックの電話のケースを買えと何度も言ったのですが、デザイン重視とか言ってこちらの言うことを聞かない挙句でのこの状況です。

さて、家族四代の携帯の契約の中で二年契約の縛りからは既に逃れている二台分の契約があるのですが、これを新規のリプレイスに使うべきか否か。

クリスマスの近いこの時期、迷うところです。

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2013年12月14日土曜日

グーグルやガジェットの進化は止まらない

初めてiPhoneのFace timeを使ってみました。

本当に便利ですね~!驚くほどの便利さ。大昔から今か今かとずっと言われていたテレビ電話はいつの間にか「普通の道具」として自分の手元にあったというわけです。
まあ、以前はWi-Fi環境下での通信という制限があったようですが、現在では回線の太さも大きくなったこともあるのでしょうか?3G・LTEでも使えるように改良されているようです。

今回体験してみて、その便利さに驚愕。カメラも簡単にフリップが出来るのはだれでもわかって入ることでも、相手が見せたいオブジェクトと会話している自分の顔も交互に見せられる上に、見せている自分の顔自体も右上にきちんと小さく表示されるって、本当に良いですよね。

お前何を今更、、、ってオジサンぶりを笑われそうですが、こういった技術は本当に年寄りを遠くに持つ人間としても本当にいろいろと使えます。
孫の顔見世、安否の確認、こまごましたものを近くまで寄せて撮ってもらってその様子を細部まで確認するとか、使い方は無限に広がりそうです。

今回この時の対話と同時に使ったのはGmailに添付していた写真を見ながらの対話だったのですが、日本の先生と会話しながら声には出さず「アッ!」と思ったのは、添付されたコンテンツたる写真がGoogle Driveの中にあるという前提でその写真をクリックしてみると、拡大や縮小がそのまま出来てしまったことでした。

こんな機能あったっけ?と思いつつ、実際にその機能を堪能させてもらったのですが、もう年々歳々じゃなくて毎月、毎週、毎日という感じで小さな小さな、そして時には大きな改善を何も言わずに入れてくるグーグル。(Youtubeなんかはそういったもののうち、実感できるという意味では最たるものですが。)
この会社の人間達の多才ぶりにはホントに驚くほどのものです。しかし、そこと協業しつつも張り合う部分も多いアップル。それぞれの会社に吸い込まれていく人達の才能とバックグラウンドというのはどういった違いがあるのか、非常に興味あるところです。
しかし、まあこのレベルになると、成層圏の闘いですから、テクノロジーの理解という意味では「シモジモ」の我々には理解できない方々なのでしょうし、そう言ったレベルの人々が必死で競争するようなレベルのものでなければ、世界を動かすような技術革新は起きませんよね!

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2013年12月13日金曜日

いわゆる小さな忘年会

今日は夕刻に日本人PIのH先生と二人だけでリッチモンドのダウンタウンで忘年会を執り行いました。

まあ、要するに年末の忘年会というやつですね。喉の調子は相変わらずで、嫁さんまでイガイガした喉で痰を切らねばならない始末。なんだか長引いていますが、具合の悪さという部分はなくなって後は喉の調子だけになってきたので、まあ順調な回復の途上だと信じています。

五時過ぎに二人だけでshockoe bottomへ向かい、美味しそうな料理と飲物を出してくれそうな店を選ぶことにしました。流れ着いた先はThe Tobacco companyでした。
ここは少々お高めなのですが、出してくるものは間違いなくそれなりに美味しいものですものですので、普段こういった所に縁の無い野郎二人には少々場違い感がないでもないのですが、まあ、こういった所で食べるのも日頃ストレスに耐えて頑張っている我々へのちょっとした報酬ということで。

サーブしてくれた女の子は若くて可愛らしい女の子でいきなり私をハッピーにしてくれました。w
出てきたバターがびっくりするほど美味だったので、「一体これ何?」と女の子に尋ねたら、バターに蜂蜜とガーリックを混ぜて作ったものなんだそうです。実際に彼女のお母さんも同じものを作ってくれるそうで、これは一度家に帰って再現を試みねばと強く思うほどの美味しさでした。

ネットで今調べてみたら、材料と作り方は簡単で5分で出来るものです。

  • 4 tablespoons butter 
  • 2 garlic cloves 
  • 1 tablespoon honey 
  • 1/2 teaspoon oregano 
  • 1 pinch salt 
  • 2 tablespoons parmesan cheese (optional) 

Directions:

  1. Finely chop garlic. 
  2. Mix first five (5)ingredients in microwave safe bowl. 
  3. Microwave 1 minute until butter is melted.
さて、オーダーも到着して始まった二人の話は公私にわたる濃密なもので、ちょっとここには書けないパーソナルなものでしたが、おおいにその濃密な会話を二時間ほど愉しみ、笑顔を沢山降り注いでくれた女の子にちょっと多めのチップを弾んで店を後にしました。
我々はこの三階の席から下を眺めていました。
高所恐怖症の私には少々怖い席でしたが、、、。
やはり金曜日というだけあり、こういったおしゃれな店はありとあらゆる人達が着飾って出入りしていました。パーティーも我々の隣で開かれていましたが、みんな本当に楽しそうでしたね。

来年もこの人達に幸あれと心のなかでちょっとカッコつけて祈りました。

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2013年12月12日木曜日

ベセスダで日本食

昨日書いたようにUJAのサイト立ち上げで非常にお世話になっているM嬢の本格的なお礼の場ということで、今日は昨日の夜遅く辞した日本食店で食事会を開きました。

まず今朝に至るまで、良く眠れませんでした。というのも硬い床に寝袋で寝たというのが第一の理由。そして更にアメリカのマンション、アパートに有りがちな異常に乾燥した熱い空気が一晩中吹き出してきて、ただでさえ痛い腫れ気味の喉にワンモアパンチを加えてきました。
それに暑い事自体も大変なもので、外は厳寒、中は熱帯というアメリカによくある一晩になってしまいました。

朝は5時過ぎくらいには目が覚めてしまい、寝袋の上で胡座をかいてじっと朝焼けが色づいていくのを眺めている状態でしたがやがて家の主達も起きてきて一緒にコーヒーやパンを齧っての談義となりました。

Yさんから聞いた話は、韓国の実家の甘やかされて育てられてしまった弟と、その嫁たる義妹が利己的であるためにいろいろと起きてくる問題のことでした。切々と語られたそれらの話は一時間ほどのものでしたが、私的に最善の助言を行いどのような解決策を出すのが良いのか一緒になって考えを色々と話し合いました。
また、同じような話の流れで、Vのすぐ下の弟で、イギリスに居る馬鹿タレ男の困った行動に振り回される話も出てきました。

しかし、そういった話を通じていつも感じるのは「こういった話」というのは洋の東西や世代を超えて、何処であっても似たようなパターンしか無いもんだと思いました。時代を越えて語り尽くされてきたであろういろいろな家族親族間の問題が場所と時を越えてこれからも何百億回も出ては消えを繰り返し、それを解決する為の答えの探索は皆、それぞれがそれぞれの個別の事情を勘案しながら解決するしか無いのだろうなと考えた朝の一時間でした。

さて、この後はお昼一時くらいからUJAの昨日書いたメンバーで三々五々集まってきて、M嬢に感謝を表するためのお昼御飯の饗応が行われましたが、彼女の胃袋の小ささゆえに、お寿司と焼き肉をチョコチョコっと出した時点でもう彼女自身がギブアップ。w
私としてはギャル曽根位食べて頂く腹づもりだったのですが、、、。まあ、二回目の計画もしなければなりませんね!

さて、彼らと別れた後Vともう一度会って年末にリッチモンドで再会する約束を取り付けた後、I-95を南下したのですが、Culpeperへ至るまでの自然渋滞が酷くて、通常は2時間半もかからないところを3時間半以上かかって家に帰り着いたのでした、、、。

ああいうのを見ると、Culpeperって結構DCの通勤圏なのかな~?Wikiを調べたらどうやらそうみたいですね。

勘弁してください。w

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2013年12月11日水曜日

ベセスダへ

今日は昼過ぎからベセスダへと向かい、UJAのサイトの立ち上げやメンテ、データ解析その他までボランティアとしていくつも同時にこなしてくれているM嬢の日頃の御苦労に部分的にでも報いるために、車を飛ばしました。

他にも大事な目的があって、NIHのB先生と会うことと、新居に引っ越した旧友のNIHのインド人研究者であるVと会うことでした。ちょうど5時過ぎにベセスダにつきました。
大きな渋滞にも引っかからず、脇道をスイスイとやってこれたのもGPSのおかげでしたが、とりあえずベセスダの定番Rock Bottomへ集合ということでVと韓国人の彼女であるYさんとビールを飲み始め、近況に関するお互いの話で盛り上がりました。暫くするとそこへNIHで仕事を終えてきたB先生も合流。

更に話は盛り上がり、寒空の中、遠く離れたスペイン風?の食い物を出す二次会の会場へと移動しました。ここでは更にY先生とT先生、もう一人natureにco-authorで論文を出したばかりの女性の先生も加わり集団は大きくなっていきます。

段々と埒も無い話ばかりになっていきましたが、それぞれの小グループは盛り上がり続けています。更にこのグループは三次会へ、、、。まさかここまでとは思っていませんでしたが、少々腫れ気味の喉を擦りつつ、本当は閉めているはずの自分の日本料理店を無理して開けてくださっていた名古屋出身のオーナーに無理を承知でいろいろと頼み込んでお寿司や枝豆を用意してもらったのでした。

寒空の中、今晩の投宿先であるVの新居にお邪魔して更に彼の近況に関する真剣な討論と対話が続きました。無論そこにはビールが、、、。

しかし彼の話を効いていてじっと考えたのですが、世の中はいろいろと見えない所で見えない物が渦巻いているんですね。
単純な人生なんてどんな人のところにも、そして何処にも無いという思いを強くしました。

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2013年12月10日火曜日

せっかち考

喉の腫れている時に養生をしていて横に居た嫁さんに言われた一言。「飴噛んでない?」

そうです。私は飴を噛んでしまう人なんですね。実は息子もそうで、特に理由はありません。いつも思うんですが、この「飴を噛む」という行為に走る人というのはせっかちなんではないかと自分自身では考えているんですがどんなもんなんでしょうか。

口に抛り込むととりあえずガリッと噛んでしまい、盾続けにそのままガリガリと噛んで小さくなって破片が溶けていくのを口の中で味わうのですが、嫁さんによれば「飴というのは口の中でゆっくり溶けていくのを味わう過程が大事」なんだそうですが、習い性なので仕方がありません。

特に呆れたように言われるのは、今日のような「のど飴」系の治療に資する飴を舐めるときにも、思わず私がガリッと噛んでしまう時ですね。さすがにトローチではそれは無いんですが、飴だと条件反射的に噛んでしまうという状態で、その度に横にいる嫁さんは呆れるやら嘆くやら「とても医者とは思えん」とまで言われる始末です。w

こういった行為というのは果たしてその人一人一人のせっかち具合に何らかの相関関係が有るんでしょうかね。一度実験をしたいなという気もするんですね。例えば飴を噛んでしまう人は待たされたりするのが嫌な傾向が強いとか、車の運転でもスピードを上げやすいとか、ブラインドで60秒を数えさせたらそれぞれ実際は何秒をもって60秒とカウントしたか、、、なんていうすぐにでも出来るアンケートと実験をしてみたら面白いと思うんですが、どんなもんでしょうか。

私はこの「飴を噛み砕く」という行為とせっかちの度合いに正の相関が出ると見ておりますが。

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2013年12月9日月曜日

海賊とよばれた男・読了

昨日に引き続き一日中具合が悪く、家で寝ていました。

目が覚めた時には本を読むという実に長い間無かったパターンで本を読むことにしました。ベッドの中で横になりながら読んだ本は先日実家から送ってもらった「海賊とよばれた男 上・下」です。

一旦読み始めたら、余りの面白さにやめられなくなってしまい、逆に目が疲れるのを強く自覚する始末。療養になっているのか甚だ疑問でしたが、、、。なんだか読んでいるうちにズンズンと引きこまれていき、途中で目頭が熱くなるようなシーンや胸躍るシーンが随所に有るため、トイレに行ったりシャワーを浴びる際にも本を片手に行く始末。

久し振りに次々とページを捲りたくなる本との邂逅となりました。
今までで最も興奮して読んだ本は高校時代に読んだ吉川英治の宮本武蔵でしたが、それとはまた違ったタイプの興奮でしたね。
この前、永遠の0で読んだ興奮とおんなじ感じがしたのですが、間抜けなことに作者が全く同じ人だということを嫁さんに笑われて気づいた次第です。orz

実はこれに気づいたのは作者のちょっとしたイタズラの部分が発端でして、満州鉄道関連の仕事で大陸に渡った鐵造の所に舞い降りた新型戦闘機に乗っていた搭乗員が「宮部」というところに引っかかったためでした。「永遠の0」の編隊長は確か、、、宮部って言ったよね?というのが頭の端に残っていたため、本棚に有るその本をペラペラと捲ってみたところ、やっぱり「宮部」という名前で出ていたので一人で「オオーー」等と言っていたら隣に居た嫁さんから「おんなじ百田サンが書いた本って知らんかったん?」と当然のように言われ、思わず「あ、そう?、、、orz」と、ショボーンとなってしまいました。

それにしても、信念に生き、その信念を支える知己に巡り会えた稀有の人というのはやはり桁違いです。これだけのことを成し遂げる男に付けられる呼び名が有るとしたらそれは一言「サムライ」だろうなと、読みながらつくづく感じました。同じ日本人に生まれて良かったと心から思いました。

生きているうちにこんな凄い人を一目近くで見てみたかったな、とみぞれ混じりの寒空に思う私でした。

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